新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

2001年 紀勢線一周の旅 ②

2021/05/15(Sat)

さて2001年紀勢線一周の旅ですが、和歌山から紀伊田辺行きの
普通列車阪和色113系)に乗って新宮方向へ向かっております
クラ駅長です。

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この付近ではから小規模な私鉄盲腸線のように分岐してる所
が多く、当時は藤並から出る有田鉄道まだ残ってた時代でした。

同年の6年前1995年からは列車が走るのは平日のみ最終列車
藤並15:32と言う極端に本数が少ない状況になっており「日本一最終
列車が早い路線」として違う意味で有名でしたね。

尤も同社では平行する道路バス路線も有しており、鉄道の乗車券
や定期券でも乗る事が出来たそうですが。

御坊から出る紀州鉄道は今でも健在ですが、当時は北条鉄道から
来た2軸レールバスが主力車両として走ってた時代です。
ぁ、先述の有田鉄道でも最末期樽見鉄道同型車でしたね。

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御坊を過ぎると車窓の右手太平洋が広がります。
当時の私は「海が見えるなら絶対に海側」の主義であり、左のように
編成全体を入れて撮りたいから、よく最後尾の車両に乗ってました。

そんな感じで紀伊田辺に到着。現状のダイヤ御坊でも乗り換える
ケースが多いんですが、この時は紀伊田辺まで乗り換えナシでした。

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ココから新宮までは105系です。

この車両については忘れましたが、結構な距離を走る割にトイレが
未装備の編成が多く、しかもトイレに見えて空調機器が詰まってる
と言う紛らわしい物があり「フェイント便所」と呼ばれてましたな。

そして走り出してすぐの白浜で、いきなり10分程度の停車です。

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当時は1996年デビューの「オーシャンアロー」最新型であり、多くの
「くろしお」国鉄からの381系、そこにパノラマグリーン車を連結した
「スーパーくろしお」が何本か混じる感じだったと思います。

「スーパー」っても性能的には在来車と変わらないんですが、まぁ
気分の問題かも知れません。てか列車の前後形状が違う編成は
模型化した時に不細工だから、今でもあまり好きではナイのですよ。

停車時間が長い駅弁を買いに走るから、ココでは一般的な幕の内
弁当を買ったようです。…この掛け紙今でも同じのがあったような?

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後年になって駅ノート何度も訪れる事になった紀伊田原でも長時間
停車のために途中下車してました。上下交換の他に後発の「スーパー
くろしお」抜かれるダイヤのようです。

この当時は確か、駅前小さな食料品店があって、お菓子か何かを
買った覚えがあります。近年駅ノートで来るようになってからは見た
事がナイので、後に廃業してしまったのでしょう。

こうして無駄に時間を食いつつ、105系のんびり新宮を目指します。

→次回に続く



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No.776 乗り鉄タイムトラベル

2001年 紀勢線一周の旅 ①

2021/05/14(Fri)

さてココで回数の水増し…最近ウケのいい「乗り鉄タイムトラベル」
のネタを挟む事に致しますクラ駅長です。

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今回の旅は2001年だから丁度20年前です。何を思ったのか日帰り
紀勢線を一周してみようと言う事で、早朝の奈良駅から旅に出た
記録が残っておりました。

この辺りは「写ルンです」ではなく当時の機種フィルム用コンパクト
カメラで撮ったようで、日付が入っております。同年の9月18日ですか。

当時はJR奈良駅から徒歩5分程度の所に住んでおり、まだ高架化
される前の同駅が最寄駅でした。
この駅舎は少し脇に移築され、現在も観光案内所として健在です。

普通列車を乗り継ぐ旅ですが青春18きっぷではなく普通乗車券です。
西日本東海境界となる新宮まで買ったのを覚えてますわ。

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まず桜井線回りで高田へ向かいます。「万葉まほろば線」と言う路線
愛称は当時からあったんだっけな?間合い運用か珍しく103系の
後期型
でしたが、ホームの行先表示間違った物を表示しています。

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高田和歌山線に乗り換えです。奈良色105系国鉄末期から
の車両なので、当時もコレが当たり前。てかつい最近までソレほど
変わらない光景が見られたと言うのが恐ろしい話です。

平日の7時台と言う事で通学ラッシュ時間帯でした。女の子の
制服からして五條市智弁学園だな。…高校野球の常連校ですが
意外と辺鄙な所にあるんです。

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その五條4両編成のうち後ろの2両切り離されました。…作業に
伴って10分近く停車するので、ホームに降りて食料を調達します。
朝が早いから、どうせ何も食べずに出てきたんでしょう。

国鉄末期における奈良県内駅弁取扱駅は、奈良吉野口2駅
のみとなっており、正式な駅弁ではナイようですが当地の名物である
柿の葉寿司を買ってます。

…今回は以後も矢鱈駅弁が出てきますよ。20年前だから28歳か。
消化器系の処理能力も今とは全く違ってたと思われます。

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和歌山から、いよいよい紀勢本線に入ります。

113系阪和色ですか。詳しい経緯は知りませんが概ね初期型
の車両が集められており、後に冷房化されたグループですね。
5000番台と言うよく分からない分類になってました。

和歌山駅弁小鯛の雀寿し。…先程の五條から1時間経って
ナイと思うんですが、我ながら元気ですね。

いいお天気の中、長距離路線国鉄型の車両で走る。心地いい
乗り鉄の旅が出来そうな気がしてきました。

→次回に続く



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No.775 乗り鉄タイムトラベル

1999年 大井川鉄道の旅 ④

2021/04/25(Sun)

…さて1999年大井川鉄道の旅ですが、紆余曲折を経て辿り着いた
下泉からSL急行に乗り、本線終点となる千頭を目指しております
クラ駅長です。

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やはり車内にもカメラを向けていますが、この客車何十年経っても
変わりようがナイですよね。

車内の照明が1つ置きに消えてるのは何故なんでしょう?ちなみに
気になって調べて見たんですが、丸型の蛍光灯日本国内初めて
市販されたのは1953年の事だそうです。

そしてですが、記録によるとコレは車内販売のおばさんに撮って
貰った事になっています。…被写体(私)小さく写されてしまうのは
慣れてますが、コレは明らかなフレーミングの失敗ですよね。

…然りとて「写ルンです」ではソノ場で確認して撮り直して貰う
ワケにも行きません駅弁に関しての記録はナイんですが、座席の
下に明らかな空き容器があるから、車内で買って食べたのでしょう。

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そんな感じでSL急行大井川に沿ってソレなりに力強く走り、終点
の千頭に到着しました。

…改めて機関車の正面を見ると、何やら見慣れないヘッドマーク
付いていました。

画像を拡大してみると京成電鉄創立90周年記念観光バスツアー」
と書いてあります。
同社の設立1909年の事なので時期として正しい事になりますね。

主として老人向けのバスツアーの行程にSL列車の乗車を組み込む
事は割とある筈ですが、ソレなりに金を出せば自作のヘッドマーク
出して貰うのも可能だったと言う事でしょうか?

そのツアーの客と思われるおばさん達嬉しそうです。生きてれば
80代ぐらいの人達でしょう。…てかおばさんって何でも指を差すよな。

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そして千頭駅ですが、同年の7年前1992年現在の駅舎新築
され、大井川本線行き止まり櫛型ホームになりました。

子供の頃に来た記憶では川に近い方線路と平行に建った建物が
あった筈なので、この時の記録には「何か違う」と書いてあります。

違うと言えば当時金谷側に転車台無かったので、SL列車
帰路便機回しだけを行ないバック運転で牽引してましたね。
今となっては貴重な写真かも知れません。

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帰りSLより先に出る電車急行に乗りました。近鉄16000系ですよ。
…当時は近鉄線内でも同系の車両まだ現役であり妙な違和感
感じたのか、当時の私もやはり細かく見ていました

妻面にある形式銘板は、ある筈近鉄マーク削り取られてました。
「新金谷車両区」手書きっぷりは逆に鄙びたイイ感じです。

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大井川鉄道ではワンマン運転を行うため、運賃表示器運賃箱など
が追加されています。…特急車両ワンマン運転?まぁ仕方ナイ

その他の掲示物などは近鉄のままです。注意書きにある「乗務員」
近鉄社員を指して書かれた物の筈が、ココでは大井川鉄道なのか。
…コレは今でも同じような状況の掲示物を見た時に思う感想です。

座席を1区画外して車椅子のスペースにするのは当時の近鉄では
無かった発想です。…ちなみにこのシート、初期の国鉄の特急型
同じように、回転しますリクライニングの機能ありません

シートカバー近鉄からそのまま持ってきた物でしょうが、通常なら
クリーニングされて洗濯糊が効いてる筈の物が妙に柔らかく、ココ
社員の方が普通に洗濯機で洗ってるんだろうなと想像しました。

朝が早かった往路で色々と動きすぎたせいか帰りは途中で眠って
しまい気が付いたら金谷駅に戻ってたようです。

良くも悪くもあまり変わらないと思ってた大井川鉄道ですが、やはり
20年も経つと色々と変化も感じられて面白かったです。

ぁ、子供の頃のアルバムを探せば、もっと古いのが出て来るかも。
機会があれば御紹介しましょう。

…続いて実家の大掃除の報告を1回挟み、新たな旅に出る事にします。




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No.756 乗り鉄タイムトラベル