新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

2000年 北越急行の旅 ②

2021/06/04(Fri)

…そんな感じで前の会社の先輩と訪れた2000年直江津駅ですが、
ココから北越急行乗り鉄を始めますクラ駅長です。

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この蕎麦屋店名が変わってますが今でもありますね。…当時は
何故か、入口を狭くしてまでコーヒーの自販機が置かれています。

…それで思い出したんですが、2人で駅に着いたのが8:20ぐらいで、
乗車予定の列車まで約1時間あります。先輩朝イチコーヒー
飲まないと体が動かない人なので、喫茶店にでも入ったんでしょう。

直江津から北越急行へ入る列車も2つ先の犀潟まで信越本線を走る
ので、青森・新潟方面と同じ時刻表に書かれてますが、今から思えば
豪華な内容です。

昼行「白鳥」「雷鳥」「はくたか」「北越」「みのり」夜行「日本海」
「トワイライト」「北陸」「能登」「きたぐに」。…いい時代だったんですね。

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まず我々が乗るのは9:20発越後湯沢行き普通列車です。本来の
目的は681系の「はくたか号」ですが、特急前面の展望効かない
ので先に普通列車六日町まで往復する事にしたんです。

当時の「電車でGo!2」でも普通列車六日町まで、特急「はくたか」
越後湯沢まででしたから。普通列車は今も昔もHK100型です。

…このシーンは、私が先に歩きながら先輩の方を振り返って「ほら、
アレですよ!」子供のように車両を指差してたのを何故か鮮明に
覚えています。

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信越本線犀潟を過ぎると北越急行に入り、線路に反れて高架
を上りつつ大きくカーブして行きますよね。…ゲーム中でも印象的な
シーンだったので先輩は「うわー、ゲームと同じだ!」と大喜び

実際は「ゲームが本物と同じ」なのですが、細かい事はイイでしょう。
私は朝食駅弁を頂いております。…微かにですが箸袋「ホテル
ハイマート」のロゴが確認出来ますな。

「謙信弁当」と言う幕の内弁当のようですが、調べてみると2012年頃
まで存在が確認出来たものの、現在は終売になってるようです。

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 …それにしても北越急行(ほくほく線)と言う路線は、既存の一般的
な鉄道とはかけ離れたコンセプトで建設された路線だし、時期的に
鉄道趣味から離れてた事もあって、ゲームの時点から一々斬新です。

風景は日本の田園地帯なのに延々と続く単線のスラブ軌道って初見
だし、ゲーム中ではトンネルの内壁の描写にSFめいた所があったり。
「高速進行」ってな青が2つ出る信号なんて初めて見ましたわな。

実際に現地へ行って全てが実在してる事を確認して、ようやく安心
出来たような気がします。

途中のまつだいJR西日本485系と交換しました。
…当時はまだ485系も当たり前に走っており、特急「はくたか」各社
の各型式が入り乱れる賑やかな状態でした。

一方を通過線と決めた線形なので、左側通行の原則から外れてます

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飯山線との交差点となる十日町では、塗装の違うHK100型と交換。

特急が行き交う意外と密なダイヤの中、普通列車は自身も急加速
しつつ、次の駅では急減速して待避線逃げ込む必要があるから、
無駄に高性能だと聞いた事があります。

20年以上使ってる所をみると、やはり製造費も高かったのかしら?
新しい発見の連続となった北越急行の旅は、まだまだ続きます

→次回に続く



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No.796 乗り鉄タイムトラベル

2000年 北越急行の旅 ①

2021/06/03(Thu)

さて新たな報告です。…と言っても最近は出掛ける機会減ってます
ので、また「乗り鉄タイムトラベル」と参りましょう。
今回は2000年北越急行直江津~越後湯沢乗り鉄報告です。

この時は一人旅ではなく当時の会社で仲が良かったT先輩と言う人
と一緒でした。

私より1回り年上で特に鉄ヲタではナイ人でしたが、何となく気が合う
のでよく一緒に食事に行ったり(先輩は飲めない)、私の結婚式
にも出て貰ったりした人です。

まずコノ少し前、T先輩バイクで事故をして脚を骨折したんですよ。

そして2ヵ月ぐらい仕事が出来ず自宅で休んでる間、当時流行ってた
「電車でGo!2」681系「はくたか号」にハマり、当たり前高得点
出すようになりました(ハードモード減点ゼロ)。

で「一度本物に乗ってみたい」と言う事から、回復した後現地へ行く
事になったんです。…取り敢えずの目的地新潟県の直江津ですね。
記録では同年7月22日に出て、翌日に現地で乗り鉄しています。

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現地まで先輩の車で行きました。一貫してマツダ車が好きな人なので
「ユーノス・ミレーニア」と言う当時のマツダの高級車だったんですが、
如何にいい車でも夜通し走れば疲れます(交代してくれなかった)。

カナリ早朝に着いたので、直江津港フェリー岸壁仮眠する先輩
を置いて、私は徒歩直江津駅へ行ってみました。2kmぐらいです。

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当時のダイヤでは朝6時半前に、下り(新潟行き)急行「きたぐに」
上り(大阪行き)寝台特急「トワイライトエクスプレス」が同駅で
交換する事になっており、時刻表を見てこれらを撮りに行ったようです。

場所は直江津駅からすぐ新潟寄り関川の鉄橋の袂ですね。
同ゲームでもほくほく線を選択すると発車直後に渡るアレですよ。

…例によってフィルムカメラだから現場では確認出来ないし、現在の
デジタルカメラのように「大きく撮ってトリミングする」と言うのも無理
障害物を入れずに撮るのに苦労しましたが、やはり中途半端です。

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「トワイライトエクスプレス」に関しては「そのうち乗る機会あるだろう
放置した結果、乗れずに終わってしまいました。新幹線の開通で間
第三セクターの区間が挟まるともぅ無理でしょうね。

ぁ、急行「きたぐに」高校生の頃、往復で乗ってます。JR発足の年
だったから、まだ国鉄塗装581系でした。実家の片付けと平行して
その時の写真を探してるんですが、まだ未発見です。

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また直江津港に戻り、ようやく起きた先輩へ向かいます。
連れが居ると撮って貰えるから、今回は私自身の写真も多いですよ。

直江津駅同年の4月から、現在の橋上駅舎自由通路の供用が
始まっています。の画像はホテルハイマートがある側ですな。
…って数日前に行ったばかりじゃない。

駐車場跨線橋を渡った南口で、レールパークとは反対側へ曲がった
方向にあります。

ではココから北越急行乗り鉄を始めます。私にとっても初乗車の
区間なので楽しみですね。

→次回に続く



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No.795 乗り鉄タイムトラベル

2001年 紀勢線一周の旅 ③

2021/05/16(Sun)

さて2001年紀勢線一周の旅ですが、紀伊田辺から乗った105系
普通列車で、何度かの長時間停車を繰り返しつつ紀伊勝浦駅に到着
しておりますクラ駅長です。

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…ココでも長く停まるから駅の外まで出る余裕があったんですが、
駅舎は当時から変わってナイものの、駅名の上付近に塗ってある
線の色違うようです。

コレは恐らく最初に「スーパーくろしお」用の編成に採用された車体
デザインと揃えた物だと思われます。流石に模型化されてナイか。

ココでは名古屋行きの「ワイドビュー南紀」が先発です。キハ85系
1989年から走ってますので、この時点で既に10年以上が経過して
ますが、よく考えたら今でも現役なのは不思議な話ですね。

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当時はどぅだったか知りませんが同駅の駅弁は現状では改札外の
駅前ロータリーで売られてるので、この時は気が付かなかったのか
買わなかったようです(買ってれば写真がある筈)。

…そんな感じでようやく仮の目的地にしていた新宮駅に到着です。
駅舎時計がありますが、そろそろ16時前…ほぼ夕方ですね。

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白浜アドベンチャーワールドPR用か、パンダの絵ラッピング
した105系が留置線に居ました。

105系から採用された前面デザイン運転席の窓回り黒いから
元から「パンダ顔」と言われてた筈ですよね。妙な偶然もあるもんだ。

ココからは東海区間に入るので普通列車キハ11でした。
…まだ当時はキハ40系の方が主流であり、どうせ乗るなら古い方
雰囲気があってイイと期待してたので、私としては「ハズレ」です。

ともあれコノ普通列車多気まで向かいます。

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新宮でも駅弁を買ったようで、メモには「4食目」だと書かれてました。
…考えたら柿の葉寿司小鯛の雀寿し軽い物だから、合計で3食
なら普通の事なのか?ぃゃ「全部が駅弁」ってのは世間的には変だ。

段々と暗くなるフィルムの残量を気にしながらだった筈なので、ココ
からの写真少ないんですが、紀伊長島駅を撮ってました。乗務区
があるので、30分ぐらい停まるような普通列車今でも存在します。

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…見てるとすれ違う列車全部キハ40系なんですよ。当時の東海
同系車は、国鉄時代青モケットのままだから(上部にビニール
製のカバーはある)、乗り鉄の雰囲気としてはその方がいいのに。

そんな感じで多気まで来た所で、フィルム使い切ったようです。
フィルムの残量カメラ作動するギリギリの長さだと、右のように
中途半端な状態で撮れてしまいます。当時はよくある事でした。

ココから新しいのを買っても無駄が大きいと考えたのか、又は買える
所が無かったのか、記録ココまでで終わってました。記憶では亀山
関西本線に乗り換え、加茂を経て奈良まで帰った筈です。

なので記事の内容としても中途半端ではありますが、今回の報告
ココまでになります。この辺りは20年の歳月を経ても意外と変わって
ない所が多く、新幹線などのメイン幹線とは違う趣きを感じました。

ではまた次回から現代の報告に戻ります。
いよいよ長年の念願であったアレを買う事になったので、少し回数
取って紹介して行く事にしましょう。




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No.777 乗り鉄タイムトラベル