新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

南満州鉄道爆破事件? ①

2021/09/18(Sat)

今回の記事はカテゴリーを取り敢えず「乗り鉄タイムトラベル」
入れたんですが、実際に乗った話ではありません実家の片付
をしてたら出て来た出て来た謎の写真について御紹介しましょう。

実の所、初めて見た物ではなく高校生の頃に親から見せられて当時
も驚いたんですが、以来その存在忘れてた物なんです。
今回、何故か農機具倉庫の棚の引き出しから発見されました。

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意味なく古い熨斗紙で巻いてありますが、ガラス板の写真のネガ
5枚あります。「写真乾板」と言う物ですね。

…現在のような(と言っても最近はデジタル写真に取って変わられて
ますが)セルロイド製のフィルム写真普及する前日本では昭和
初期ぐらいまではこっちの方が主流だったそうな。

大きさは12㎝×16.5㎝「キャビネ判」と言う物で、当然に白黒です。

コレを現代の引き伸ばし機印画紙に焼く事は恐らく不可能ですが、
高校写真部だった私は当時、似たサイズの印画紙ベタ焼きして
再現した事があるんですよ。

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今更そんな設備使えませんので、今回はデジタルスキャナで読み
込んで、加工ソフト反転&画質を調整してみましょう。

…何やら鉄道事故の現場処理を撮ったような写真が出てきました。
上部などに出てる黒い染みは、薬剤剥がれてしまった部分です。

下に活字によるキャプションが付いており、よく見ると左下の端
「№3」と言う文字が読めますな。…活字以下の通りでしょう。

「昭和三年六月四日払暁奉天驛ヲ距ル北方約一哩満鉄京奉両線
クロース地点ニ於テ通過ノ際一大音響ト共ニ爆破サレタル張大元帥
以下大官一行ノ乗車列車」(※一部の漢字現代の物)

払暁=ふつぎょう(明け方)距ル=へだてる、マイル

日本史で習う「南満州鉄道爆破事件」又は「張作霖爆殺事件」
言う物じゃないですか?日付けも状況も一致してますよ。

上記のようにコノ事件は昭和3年の6月4日に起きたワケですが、
南満州鉄道
は後の昭和6年にも「柳条湖事件」爆破されています。

よく爆破される鉄道だなと思うんですが、場所も「奉天市の郊外」
言う事で似てますから、受験勉強では間違えやすいポイントでしょう。
当時は「テロ=鉄道の爆破」最も効果的だったのかも知れません。

歴史上の出来事としてはYoutubeなどに解説動画が幾つかあって
私もソレを観た上で書く事になります。

時代背景としては、元号大正から昭和に変わったすぐの頃です。
関東大震災から引きずった不景気により日本国力が弱っており、
軍部などを中心に中国大陸植民地を求める声が強くなります。

この時代中国大陸情勢がカナリ不安定であり、この張作霖
言うオッサンは当時新しく起こった中華民国の国民政府(蒋介石)
反抗する軍閥のリーダーみたいな立場だった人のようです。

日本中国東北部…いわゆる満州地区への侵略と植民地支配
目論んでおり、陸軍の中でも大陸に拠点を置く「関東軍」と呼ばれる
部隊が表に裏にと暗躍してたそうな。

当然に現地の軍閥とも手を組む事があり、ココで張作霖日本との
繋がりを持ったんでしょうね。

国民政府が力を付けて北方の軍閥に対する征伐を行ない、張作霖
はソノ戦いに負けて敗走、尚且つ反日運動が高まると元々親日派
であった張作霖日本言う事を聞かなくなり、関東軍も彼の事が
邪魔になってくる。…で合ってるかな?

そんな感じで張作霖は、国民政府の仕業に見せ掛けた爆弾テロ
列車ごと爆破され、この写真の現場命を落とす事になりました。

…んー、やっぱり中途半端に長くなりますね。ネタが無くヒマな時期
なので、画像の数は少ないですが次回に続きます

→次回に続く



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No.902 乗り鉄タイムトラベル

2000年 北越急行の旅 ④

2021/06/06(Sun)

さて2000年北越急行の旅ですが、再び直江津から今度はの特急
「はくたか81号」に乗り、越後湯沢までやって来ましたクラ駅長です。

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当時はまだ「日本全国の鉄道を全て乗り潰そう」などと言う発想は
全く無く「何だか遠い所まで来てしまったもんだ」と思っただけでした。

川端康成国境の長いトンネルを抜けて「雪国」を書いた当時は
小さな駅だったのかも知れませんが、現在この当時も大体同じ)の
越後湯沢駅は、上越新幹線も発着する大きな駅です。

背後に偶然、Y31系セドリックタクシーが写り込みましたね。
から好きな車ですが、この時は自分で所有しようとは思ってません
でした。…タクシーへの転職ちょっと考えてましたが。

ココもトンボ帰りなので、駅でアイスクリームを買っただけですね。
しかし「コシヒカリが入った?アイス」とか、流石は新潟県です。

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先に定期列車はくたか号JR西日本485系が発車します。
当時はJR東日本485系3000番台1往復のみ運用に入ってた
ので、3社が入り乱れた状態で編成にも統一感ありませんね。

グリーン車自由席位置が変わるのは、案内する側としては
好ましくナイ事かも知れません。

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我々が先程乗ってきた北越急行681系は、81号そのまま82号
として折り返します。…今回の先輩の主目的を考えた結果、1本
待ってコレ直江津まで帰る事にしました。

往路直江津では時間が無くてあまり撮れなかったので、ココ
時間を掛けて色々と撮ったようです。681系そのものは試作車
1992年から走ってますが、まだ物珍しかった頃でしょう。

時速160kmを出すフロントはやはり流線形です。しかしコノ小さな
スノープラウ北陸湿った雪完全に飛ばせる物なのかね?

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ガラ空きなのを良い事に車内も撮ってますね。

普通車グリーン車とも現在は車内がリニューアルされ、シート
変わってると思われますが、3列のグリーン車はまだ珍しかった
時代のような気がします。

…てか後継車種に至るまでコンセント全席にナイのは残念です。
当時はまだ必要なかったかも知れませんが、このまま終わりそう

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そんな感じで直江津まで帰り、また先輩の車関西まで帰ると言う
ハードな旅でした。…だったら無理でしょうね。

このように当時時々列車で遠方へ出掛けるものの、基本的には
車で走る方が面白かった時代であり、また写真撮ってプリントする
にもより面倒だし金も掛かる時代だから、残ってる物少ないの。

この点に関してはいい時代になりましたが、やはり鉄道に旅情を
感じる点ではの方が楽しかったかな。

では続いて久し振り駅ノートです。四国で幾つか新規確認があり
ましたので、その周辺も併せて報告する事にしましょう。




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No.798 乗り鉄タイムトラベル

2000年 北越急行の旅 ③

2021/06/05(Sat)

さて2000年北越急行の旅ですが、直江津駅から同社HK100型
普通列車に乗って、六日町駅に到着しておりますクラ駅長です。

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詳しい行路忘れましたがココで一旦折り返して直江津に戻り、
改めて681系「はくたか」越後湯沢まで往復する予定なのですよ。
「電車でGo!2」の通りに再現する算段だった筈ですので。

尚且つ先輩カナリの本数を消費する喫煙者なので、タバコ休憩
入れてあげないといけません。面白い事を書いた灰皿がありました。

後に先輩とは紀勢線一周乗り鉄旅にも行ったんですが、全てを
普通列車で組んでた筈が「喫煙したい」と言う理由で一部を特急
変えた覚えがあります。

…ソレ以外はトイレ隠れて吸ってたりは当時より火災検知器
精度が上がってるので無理でしょうね。

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 六日町上越線との接続駅ですが、新幹線が発着する越後湯沢
方が需要が多いのでしょう。当時の時刻表ではココに停車する特急
「はくたか」1往復のみだったようです。

言ってる間にJR西日本681系「はくたか」が通過して行きました。

20年も経つと車両の動向もカナリ変化しており、681系試作車
そろそろ廃車が出てる状況ですね。また後に増備された683系の方
数が多くなり、この丸いフロントの車両見つけにくくなりました。

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六日町雪深い所なので、にも除雪雪下ろしに関する基準の
表記があります。…しかしコレは1.0小数点消えてるんでしょう。
幾ら何でも10m積もらない筈です。

そんな感じで次の普通列車直江津に戻ってきました。
現在と同じ橋上駅舎は当時で既に完成していますが、ホームの屋根
一部が撤去された状態なのが分かります。

コレは元々あった跨線橋撤去した状況なのでしょう。現在はココに
形の違う角形の屋根が付いています。 …こう言うのも貴重な写真
だったりしますかね?

20210605g.JPG 20210605h.JPG

と言う事で直江津に戻り、いよいよ特急「はくたか」に乗車します。
私の記憶ではコノ時に乗ったのは臨時列車81号です。

時期的に夏休み期間に入っており、更に調べると同年7月23日
日曜日だったので増発便が運転されていたのでしょう。

当時の時刻表では681系が充当される列車には「新型車両で運転」
と言う注釈が付いてましたが、西日本車北越急行車かまでは
分からず、後者は2編成しかナイのですが、上手く当たりました

…停車時間が短かく入線時の写真無理でした。取り敢えず先輩
大喜びです。長距離を夜通し走ってきた甲斐がありましたね。

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増発便臨時列車と言う物は、周知徹底回ってないガラ空き
事が多いもんで、同列車9両のフル編成ですが「増発した意味は
あるのか?」と言うほど空いています

自由席で買って適当に座ってた記憶がありますね。

特急と言うのは乗ってしまえば早いし途中まではさっき見た区間
でもあるので、再確認するのはチャイムを含む車内放送ぐらいかな。
適当に喋ってるうちに終点越後湯沢に到着しました。

…同じ新潟県内ではあるものの、ココに来たのは初めての事だった
ので「遠い所まで来たもんだな」と言うのが第一印象でした。

特にココで何かすると言う予定もナイので、次の82号折り返します

→次回に続く




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No.797 乗り鉄タイムトラベル