下津井電鉄を探る ③
2022/04/07(Thu)
さて下津井電鉄の廃線跡を探る旅ですが、今回の起点にした茶屋町
から1つ目の天城を経て、次の藤戸と言う駅の跡地に到着しました
クラ駅長です。
ココは石積みのホーム跡が残ってますね。
事前にコースと駅跡の地点を地図上に振って走ってるし、近年に
なってレプリカの駅名票が建てられてるワケですが、全く予備知識
がナイ状態で発見したらカナリ興奮してた所でしょう。
道路がアスファルト舗装されて幾らか嵩上げされてるでしょうが、
軽便鉄道だから低いホームです。…一般的なベンチぐらいかな?
そして暫く行くと、廃線跡を何かが跨いでた跡だと思われる橋台の
跡が出てきました。
…取り敢えず写真を撮ってたら地元のおじさんに話し掛けられたん
ですが、コレは水路橋跡だそうな。向かって右側が山手の方向で、
カナリ遠くの水源地から農業用水を引いてたらしいですよ。
更に行くと路面にサイクリングロード用の案内が描いてありました。
…こっち側が鷲羽山、反対側は美観地区と書かれています。
美観地区は同じ倉敷市の中心街近くの古い町並みが残る所です。
双方とも距離が書かれてませんが、茶屋町から直線距離で5km
近く離れてますな。そして鷲羽山まではまだ10km以上あります。
…この表示、ドコかで見た事があると思ったら片上鉄道の跡地に
あったやつと同じデザインでした。同じ岡山県だから?
そしてココは廃線跡だから交差する道路の物だと思われますが、
道路元標や「金毘羅・下津井往来」と言う謎の道標が立ってる所も
ありました。…何故か中学生用みたいなヘルメットを被ってます。
道路元標と言うのは明治~大正期に主要な道路の起点を表すため
に設置された石製の標識で、今でも市町村の中心となる交差点に
残ってるのをよく見かけます。
そして田舎にお約束の廃バス店舗(の更に潰れたやつ)。
…昭和40年代の感じかな?同じ岡山県の両備バスですね。
両備バスも元は西大寺鉄道と言う軽便鉄道から発祥した会社です。
「田舎あるある」の第2弾。不法投棄などを牽制する謎の注意書き。
主張としては正しいんですが、文体や字配りが謎すぎるやつ。
学歴のナイ人が感情に任せて作るとこんな感じになるのでしょう。
…てかさっきからレプリカ駅名票にも書いてある謎の4桁の数字は
何なんですかね?コレまた狂気を感じる代物です。ああ恐い。
ともあれ次の林と言う駅の跡に着きました。この付近は住宅地に
取り込まれており、部分的に自動車が通行可能になっています。
暫く行くと広い幹線道路に出ました。…岡山県道21号線です。
ココは朝にホテルから茶屋町まで来る時に通ったので覚えがある
地点なんですが、予備知識なしで見ると廃線跡は歩道に見えます。
道路も昔からあったでしょうが、この広さになったのは最近の事
(少なくとも下津井電鉄の廃止後)だと思われます。
そして瀬戸中央自動車道の水島インターに着きました。
高速道路が開通してインターチェンジが設置されたのも、瀬戸大橋
の開通と同じ昭和63年の事だそうです。
…インターチェンジなので導入路が複雑に交差してて、この付近は
流石に廃線跡も削られてると思われますが、ソレに近いルートを
追って進む事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
から1つ目の天城を経て、次の藤戸と言う駅の跡地に到着しました
クラ駅長です。
ココは石積みのホーム跡が残ってますね。
事前にコースと駅跡の地点を地図上に振って走ってるし、近年に
なってレプリカの駅名票が建てられてるワケですが、全く予備知識
がナイ状態で発見したらカナリ興奮してた所でしょう。
道路がアスファルト舗装されて幾らか嵩上げされてるでしょうが、
軽便鉄道だから低いホームです。…一般的なベンチぐらいかな?
そして暫く行くと、廃線跡を何かが跨いでた跡だと思われる橋台の
跡が出てきました。
…取り敢えず写真を撮ってたら地元のおじさんに話し掛けられたん
ですが、コレは水路橋跡だそうな。向かって右側が山手の方向で、
カナリ遠くの水源地から農業用水を引いてたらしいですよ。
更に行くと路面にサイクリングロード用の案内が描いてありました。
…こっち側が鷲羽山、反対側は美観地区と書かれています。
美観地区は同じ倉敷市の中心街近くの古い町並みが残る所です。
双方とも距離が書かれてませんが、茶屋町から直線距離で5km
近く離れてますな。そして鷲羽山まではまだ10km以上あります。
…この表示、ドコかで見た事があると思ったら片上鉄道の跡地に
あったやつと同じデザインでした。同じ岡山県だから?
そしてココは廃線跡だから交差する道路の物だと思われますが、
道路元標や「金毘羅・下津井往来」と言う謎の道標が立ってる所も
ありました。…何故か中学生用みたいなヘルメットを被ってます。
道路元標と言うのは明治~大正期に主要な道路の起点を表すため
に設置された石製の標識で、今でも市町村の中心となる交差点に
残ってるのをよく見かけます。
そして田舎にお約束の廃バス店舗(の更に潰れたやつ)。
…昭和40年代の感じかな?同じ岡山県の両備バスですね。
両備バスも元は西大寺鉄道と言う軽便鉄道から発祥した会社です。
「田舎あるある」の第2弾。不法投棄などを牽制する謎の注意書き。
主張としては正しいんですが、文体や字配りが謎すぎるやつ。
学歴のナイ人が感情に任せて作るとこんな感じになるのでしょう。
…てかさっきからレプリカ駅名票にも書いてある謎の4桁の数字は
何なんですかね?コレまた狂気を感じる代物です。ああ恐い。
ともあれ次の林と言う駅の跡に着きました。この付近は住宅地に
取り込まれており、部分的に自動車が通行可能になっています。
暫く行くと広い幹線道路に出ました。…岡山県道21号線です。
ココは朝にホテルから茶屋町まで来る時に通ったので覚えがある
地点なんですが、予備知識なしで見ると廃線跡は歩道に見えます。
道路も昔からあったでしょうが、この広さになったのは最近の事
(少なくとも下津井電鉄の廃止後)だと思われます。
そして瀬戸中央自動車道の水島インターに着きました。
高速道路が開通してインターチェンジが設置されたのも、瀬戸大橋
の開通と同じ昭和63年の事だそうです。
…インターチェンジなので導入路が複雑に交差してて、この付近は
流石に廃線跡も削られてると思われますが、ソレに近いルートを
追って進む事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1103 鉄道廃線跡を探る