松波 おまけネタ
2022/10/29(Sat)
そんな感じでのと鉄道の廃線区間ですが、松波駅前のバス停に設置
された駅ノートを描き終えましたので、駅の裏手にある松波城址を見に
行く事にしましたクラ駅長です。
松波城は室町時代の末期に能登畠山氏によって造られた城だそうで、
以後100年余りに渡って付近一帯を統治する拠点になります。
…しかし戦国時代に入って上杉謙信方の軍勢に攻められ、城そのもの
が無くなってしまったそうな。
平成初期頃に県の史跡に指定され、公園としての整備が進んでると
言う事なんですが、実際に登ってみると発掘調査中らしく、広範囲
で立入が規制されていました。
…僅かに石塁の跡らしき物が確認出来ますね。例えばハトさん辺り
の城好きな人が見れば興味深い物なのかも知れませんが、私は
専門外なのでイマイチよく分かりません。
ちなみに道路はカナリの急坂でしたが、4WDなので何とか登る事が
出来ました。公園とは言っても家族連れが弁当を持って来て楽しむ
ような雰囲気ではありませんな。
ついでの事に線路跡を大きく迂回して、本丸跡だと言う所へも行って
みましょう。…しかし石碑が1つあるだけの寂しい所でした。
この奥には城があった当時の「奥屋敷」に相当すると思われる庭園跡
などもあるらしいんですが、コレまた発掘中と言う事で立入禁止です。
…てか庭園そのものなら一見の価値はあるでしょうが、発掘遺構だけ
だと歴史オタクしか喜びません。
のと鉄道の廃線で客が減り、松波駅を再利用した資料館も閉まった
ままとなれば、客足が途絶えても仕方ナイのかなと思います。
ともあれのと鉄道の廃線区間に沿って、更に先へ進みましょう。
松波~恋路の間にある小高い丘を越える所に、線路を跨いでいた
高架橋があるんですよ。
線路の上を道路が交差してる場合、落下物を防止するために高めの
フェンスを設置する事が多く、ココにもそれらしい構造物があります。
しかし線路が無くなってしまうと意味を為しませんね。交差地点から
廃線跡を見下ろしてみましたが、殆ど自然に還ってしまったように
見えました。…17年も経てばコレまた仕方ナイのかも知れません。
続いて以前から駅ノートが設置されている恋路駅を調査し、昼食を
頂いて当日3駅目となる南黒丸へ向かったんですが、構成の都合で
昼食の方を先に紹介しておきましょう。
…Googleで評判が良かった鵜飼の町に近いお寿司屋さんで、名物
だと言う海鮮丼を頂きます。平日なので空いており、海鮮丼そのもの
も豪華で美味しく頂けました。
ただ「個人飲食店あるある」でテレビが点けっ放しなのですよ。
…しかも昼時のバラエティー番組みたいな物で「冷凍うどんを使った
節約料理」みたいな事を紹介しています。
私の他にも旅の途中だと思われる老夫婦が1組居たんですが、その
婆さんの方が「冷凍うどんのラザニアもどき」を見て「あら美味しそう」
とか…。あんたらも今から高めの寿司を食うんじゃナイのか?
…こう言う何も考えてナイ馬鹿に
当たると折角の雰囲気が台無し
です。だから私はテレビが嫌い。
てか節約料理だから良かったけど、
ココより高級な銀座の寿司屋とか
出てきたら店の人も気まずいだろう。
…テレビが地雷になる事もあると
覚えておいて損はありません。
と言う事で話は前後しますが、ともあれ恋路海岸へ戻ってきました。
最寄りとなる恋路駅はサイクルトロッコの乗り場としても機能しており、
以前からソレ用の駅ノートが設置されてる事でも知られています。
過去に既に2枚描いてるので今回はスルーなんですが、ノートの状況
だけ調査して行く事にします。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
された駅ノートを描き終えましたので、駅の裏手にある松波城址を見に
行く事にしましたクラ駅長です。
松波城は室町時代の末期に能登畠山氏によって造られた城だそうで、
以後100年余りに渡って付近一帯を統治する拠点になります。
…しかし戦国時代に入って上杉謙信方の軍勢に攻められ、城そのもの
が無くなってしまったそうな。
平成初期頃に県の史跡に指定され、公園としての整備が進んでると
言う事なんですが、実際に登ってみると発掘調査中らしく、広範囲
で立入が規制されていました。
…僅かに石塁の跡らしき物が確認出来ますね。例えばハトさん辺り
の城好きな人が見れば興味深い物なのかも知れませんが、私は
専門外なのでイマイチよく分かりません。
ちなみに道路はカナリの急坂でしたが、4WDなので何とか登る事が
出来ました。公園とは言っても家族連れが弁当を持って来て楽しむ
ような雰囲気ではありませんな。
ついでの事に線路跡を大きく迂回して、本丸跡だと言う所へも行って
みましょう。…しかし石碑が1つあるだけの寂しい所でした。
この奥には城があった当時の「奥屋敷」に相当すると思われる庭園跡
などもあるらしいんですが、コレまた発掘中と言う事で立入禁止です。
…てか庭園そのものなら一見の価値はあるでしょうが、発掘遺構だけ
だと歴史オタクしか喜びません。
のと鉄道の廃線で客が減り、松波駅を再利用した資料館も閉まった
ままとなれば、客足が途絶えても仕方ナイのかなと思います。
ともあれのと鉄道の廃線区間に沿って、更に先へ進みましょう。
松波~恋路の間にある小高い丘を越える所に、線路を跨いでいた
高架橋があるんですよ。
線路の上を道路が交差してる場合、落下物を防止するために高めの
フェンスを設置する事が多く、ココにもそれらしい構造物があります。
しかし線路が無くなってしまうと意味を為しませんね。交差地点から
廃線跡を見下ろしてみましたが、殆ど自然に還ってしまったように
見えました。…17年も経てばコレまた仕方ナイのかも知れません。
続いて以前から駅ノートが設置されている恋路駅を調査し、昼食を
頂いて当日3駅目となる南黒丸へ向かったんですが、構成の都合で
昼食の方を先に紹介しておきましょう。
…Googleで評判が良かった鵜飼の町に近いお寿司屋さんで、名物
だと言う海鮮丼を頂きます。平日なので空いており、海鮮丼そのもの
も豪華で美味しく頂けました。
ただ「個人飲食店あるある」でテレビが点けっ放しなのですよ。
…しかも昼時のバラエティー番組みたいな物で「冷凍うどんを使った
節約料理」みたいな事を紹介しています。
私の他にも旅の途中だと思われる老夫婦が1組居たんですが、その
婆さんの方が「冷凍うどんのラザニアもどき」を見て「あら美味しそう」
とか…。あんたらも今から高めの寿司を食うんじゃナイのか?
…こう言う何も考えてナイ馬鹿に
当たると折角の雰囲気が台無し
です。だから私はテレビが嫌い。
てか節約料理だから良かったけど、
ココより高級な銀座の寿司屋とか
出てきたら店の人も気まずいだろう。
…テレビが地雷になる事もあると
覚えておいて損はありません。
と言う事で話は前後しますが、ともあれ恋路海岸へ戻ってきました。
最寄りとなる恋路駅はサイクルトロッコの乗り場としても機能しており、
以前からソレ用の駅ノートが設置されてる事でも知られています。
過去に既に2枚描いてるので今回はスルーなんですが、ノートの状況
だけ調査して行く事にします。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1308 駅長が見た風景