屋島③・栗林③ おまけネタ
2022/11/18(Fri)
さて四国の高松駅エリアの駅ノートですが、1泊2日のうちの初日
に高徳線の屋島と栗林を描き終えましたので、その2駅に関する
「おまけネタ」を紹介して参りますクラ駅長です。
まず屋島からですが、同駅でも私が前回に描いた屋島ケーブルの絵
が盗まれておりました。…他にもっと精密だったり色っぽい作品も
あると言う状況で、何故なんでしょうね。嫌がらせ?
…ともあれ捻挫で痛い脚を引きずりつつ最寄りのローソンへ行って
シールプリントを作成してきました。ローソンにもファミマと同じ機能
の機械があるようです。
絵を描いてる時に、観光案内所の爺さんに声を掛けられたから一応
「描いた物が盗まれた」と報告したんですが「えぇ?…はっはっは!」
と何故か笑って済まされました。
ぃゃ、あんた管理人でしょ?「見張ってろ」とは言いませんが、労りの
一言ぐらいあってもイイんじゃない?…コレだから今時の老人は嫌い。
その高徳線ですが、先述のように高松~引田は特急「うずしお」も
含めると結構な本数が走ってます。
でも単線なので交換駅ではカナリの確率で上下交換や追い抜きが
見られる事になり、同駅の日中のダイヤを見ても特急の直後に普通
が出るケースが多いようでした。
…特急「うずしお」も2700系などの新型車が普及しましたね。
中間車がなくグリーン車も半室とか、編成表だけ見るとキハ58系
急行の末期みたいな事になってます。
そんな感じで栗林へ移動してきました。
同駅は高架駅であり、最初に来た時は1階に飲食店(うどん屋)が
入居してたのを見たんですが、現在は空き家になっています。
そこそこの市街地だから乗降客はソレなりに多いと思うんですが、
不況なんでしょうか?体験しておけば良かったな。
そして右は駅構内にあったポスターです。四国初の特急として昭和
47年に誕生した「しおかぜ」「南風」も今年で50周年になるそうな。
…コレまた私と同じ歳なのですね。
子供の頃の記憶(てか当時の状況)としては、国鉄の気動車特急は
まだまだキハ82系がメインであり、出力の大きいキハ181系は主に
山岳路線に使われるイメージでした。
私が初めて同形式に乗ったのは、山陰線の特急「あさしお」だったん
ですが、コレは伯備線の特急「やくも」が電車化されて余剰になった
車両が転勤してきた物です。
当時の「あさしお」は特急とは名ばかりの鈍足だったから「ぇ、こんな
所で使っちゃうの?」と思った記憶がありますね。
…と言う事で2駅を描き終えて、今回の宿は栗林駅のホームからも
見える駅前のビジネスホテルです。…旅に出る前は捻挫するとは
予想もしなかったんですが、近い所で助かりました。
短編成の気動車ばかりですが、駅前なので一応トレインビューです。
駅の方向を見渡してみるに、現在の高徳線ホームの北側に隣接して
ベルコ会館(葬儀場)の低い建物がありますね。
…私が駅ノートに描いた絵の参考にした画像と現在の地図を比べて
みたら、やはり新幹線ホームを建設するにはベルコ会館が立ち退く
必要がある事になります。
まだ全く何も決まってナイ状況…と言うか四国新幹線そのものが
「ホントに必要なのか?」と言う段階なのかも知れませんが、もしか
したらベルコ会館は立ち退きを見越して小さめに作ったのかな?
と想像を巡らせてしまいました。
当日はココで1泊して、翌朝は更に岡山方向へ戻りつつ予讃線の
端岡を描いて帰る事にしましょう。
※画像出展…https://tabiris.com/archives/shin-takamatsu/
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
に高徳線の屋島と栗林を描き終えましたので、その2駅に関する
「おまけネタ」を紹介して参りますクラ駅長です。
まず屋島からですが、同駅でも私が前回に描いた屋島ケーブルの絵
が盗まれておりました。…他にもっと精密だったり色っぽい作品も
あると言う状況で、何故なんでしょうね。嫌がらせ?
…ともあれ捻挫で痛い脚を引きずりつつ最寄りのローソンへ行って
シールプリントを作成してきました。ローソンにもファミマと同じ機能
の機械があるようです。
絵を描いてる時に、観光案内所の爺さんに声を掛けられたから一応
「描いた物が盗まれた」と報告したんですが「えぇ?…はっはっは!」
と何故か笑って済まされました。
ぃゃ、あんた管理人でしょ?「見張ってろ」とは言いませんが、労りの
一言ぐらいあってもイイんじゃない?…コレだから今時の老人は嫌い。
その高徳線ですが、先述のように高松~引田は特急「うずしお」も
含めると結構な本数が走ってます。
でも単線なので交換駅ではカナリの確率で上下交換や追い抜きが
見られる事になり、同駅の日中のダイヤを見ても特急の直後に普通
が出るケースが多いようでした。
…特急「うずしお」も2700系などの新型車が普及しましたね。
中間車がなくグリーン車も半室とか、編成表だけ見るとキハ58系
急行の末期みたいな事になってます。
そんな感じで栗林へ移動してきました。
同駅は高架駅であり、最初に来た時は1階に飲食店(うどん屋)が
入居してたのを見たんですが、現在は空き家になっています。
そこそこの市街地だから乗降客はソレなりに多いと思うんですが、
不況なんでしょうか?体験しておけば良かったな。
そして右は駅構内にあったポスターです。四国初の特急として昭和
47年に誕生した「しおかぜ」「南風」も今年で50周年になるそうな。
…コレまた私と同じ歳なのですね。
子供の頃の記憶(てか当時の状況)としては、国鉄の気動車特急は
まだまだキハ82系がメインであり、出力の大きいキハ181系は主に
山岳路線に使われるイメージでした。
私が初めて同形式に乗ったのは、山陰線の特急「あさしお」だったん
ですが、コレは伯備線の特急「やくも」が電車化されて余剰になった
車両が転勤してきた物です。
当時の「あさしお」は特急とは名ばかりの鈍足だったから「ぇ、こんな
所で使っちゃうの?」と思った記憶がありますね。
…と言う事で2駅を描き終えて、今回の宿は栗林駅のホームからも
見える駅前のビジネスホテルです。…旅に出る前は捻挫するとは
予想もしなかったんですが、近い所で助かりました。
短編成の気動車ばかりですが、駅前なので一応トレインビューです。
駅の方向を見渡してみるに、現在の高徳線ホームの北側に隣接して
ベルコ会館(葬儀場)の低い建物がありますね。
…私が駅ノートに描いた絵の参考にした画像と現在の地図を比べて
みたら、やはり新幹線ホームを建設するにはベルコ会館が立ち退く
必要がある事になります。
まだ全く何も決まってナイ状況…と言うか四国新幹線そのものが
「ホントに必要なのか?」と言う段階なのかも知れませんが、もしか
したらベルコ会館は立ち退きを見越して小さめに作ったのかな?
と想像を巡らせてしまいました。
当日はココで1泊して、翌朝は更に岡山方向へ戻りつつ予讃線の
端岡を描いて帰る事にしましょう。
※画像出展…https://tabiris.com/archives/shin-takamatsu/
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1328 駅長が見た風景