新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

方言について考える

2022/11/27(Sun)

私は奈良県北部奈良盆地にある田舎町で生まれ、現在まで概ね
奈良県内か遠くても大阪府東部ぐらいにしか住んだ事がナイので、
たまには土地の方言について考えてみる事にしましたクラ駅長です。

奈良の方言と言うのは基本的には「関西弁」です。他の地方の人
から見る(聞く)とたような物かも知れませんが、やはり大阪や京都
と比べると微妙な差があります。


まず印象的に思うのが「ざじずぜぞ」「だぢづでど」訛ると言う事。
コレは和歌山県なども同じかも知れません。

…だから例えば「全然ダメ」などは「でんでんアカン」となります。

小学校の時の教頭先生(年配男性)がカナリ訛ってる人で、マラソン
大会の後に振舞われる善哉(ぜんざい)の事を「さあ皆さん、美味しい
でんだいを頂きましょう!」と発音していました。

…コレが「訛り」と言う物を意識した最初かな?
テレビなどで流れて来る標準語とは当然に違うし、関西ローカル
演芸番組で聞く一般的な関西弁ともまた違う

ついでの事にコノ教頭先生食事が不味い事を「もむない」と言って
ました。…「もむない」又は「もみない」は奈良県に限らず関西一円
使われるようですが、初めて聞いた意味が分からないでしょう。

…まぁ給食の時に回ってきて「美味しいですか?もみないですか?」
と言われたら、小学1年生でも「美味しいの反対語なんだろう」と言う
想像ぐらいは付いたワケですが。

中学校技術の先生(年配男性)がコレまたカナリ訛りのキツい
でした。木工椅子を作った時に、椅子の部品である「座受け・座板」
「だうけ・だばん」と発音してたんですよ。

字で書いてくれたら正しい名称が認識出来るんですが、そう言えば
図解以外は殆ど板書をしない先生でしたね。

だから私の隣の奥山くん耳コピー「だうけ・だば」とノートを取って
ました。ついでの事に「ん」聞こえなかったらしいです。

上記の2名の先生は何れも私の父親と同世代だと思われ、存命なら
90歳を越えてる感じになります。…やはり昔の人の方が訛りがキツい
傾向にあり、今はもぅ少し緩和されてると思われますが。

また確たるコピー技術無かっただろうから、聞き間違い写し
間違いで、言葉は変化しながら伝播して行った事もあったでしょう。


次に奈良の方言の特徴として促音小さい「つ」)が変な所に入る
場合があります。

奈良市の東部「鹿野園町」と言う所があり、コレは「ろくやおんちょう」
と読むんですが、地元の老人は大抵「ろっきゃおん」と発音します。

福島県郡山市に対して奈良県にある大和郡山市「こおりやま」
は同じような状況で「こおっりゃま」。…何れも「や」そのまま発音
するのは不可能だから要音の「ゃ」になるのでしょう。

奈良市タクシーに乗ってると「ろっきゃおん」「こおっりゃま」
時々聞くワケですが、地元で育たないと理解しにくい発音です。

近い将来「タクシー運転手AI取って代わられる」と言う説がある
らしいんですが、AIはコノ辺りを上手く聞き取れる物でしょうか?
YouTubeの自動的に字幕が出る機能でも、まだまだ粗い気がするし。


独特の言い回しと言うのも幾つかあるワケで、例えば「準備する」
「用意する」などを奈良県では「まわりする」と言います。

…コレは地元で誘拐事件が起きた時、犯人が脅迫電話の中で「カネ
まわりしとけ」と言う使い方をして、見事に「地元民の犯行である」
プロファイリングされてしまいました。

あと高齢者のうち女性に多い傾向ですが、語尾「みぃ」とか「そー」
などの感嘆詞?が付く場合が多いです。…「みぃ」「見てみなさい」
的な事かなと想像してるんですが「そー」意味が分かりません


一般的に考えて、若い者より高齢者行動範囲広い者より狭い者
の方が訛りはキツくなると思われます。

私は今年で50歳ですが、ネット木村関係で知り合いは地元より他の
地域の人の方多く、加えて地元の言葉が嫌いだから、極力は
「一般的な関西弁」収めるように心がけています。

私のイトコ連中は概ね私より年上だし世間が狭いのか、10歳程度
差でも「コイツら訛りキツいなー」と感じるし、実家半径2km程度
生きてる元妻なんかも、歳下ですが極度に訛ってますね。

…ぁ、奈良県南北の方が長い地形ですが南へ行くほど訛りがキツく
なるし、ついでに言えば民度も下がるのですよ。

他にも細かいエピソードは沢山あるんですが、その辺は「50年史」に
回す事にしましょう。取り敢えず「スマートな老人」を目指すためには
訛り程々に抑える努力が必要なのだろうと思います。

→次回に続く



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No.1337 ○○について考える