クラ駅長50年史 ⑨
2023/01/07(Sat)
では新年最初の土曜日と言う事で、今年も「クラ駅長50年史」の
記事を紹介して参りますクラ駅長です。…1年は概ね52週間だから
10月の中頃までは引っ張れる事になりますね。
今回は1981年…昭和56年のお話です。
同年の出来事をWikipediaから拾ってみますと、意外と現在でも人気
の商品(主に食品関係)が発売開始されてる事が分かりました。
…ガリガリ君・雪見だいふく・麻婆春雨・リアルゴールドなどが同年の
発売開始なようです。
テレビでは「オレたちひょうきん族」や「Dr.スランプ アラレちゃん」の
放送が始まり、ワイドショーでは「深川通り魔殺人事件」や「ロス疑惑」
などの事件がよく取り上げられてたのを覚えています。
…殊に「ロス疑惑」は不倫だの保険金詐欺だのと「主婦好み」な要素
が多くウチの母親も熱心にテレビを見てました。アホですね。
同年の鉄道では京都市と福岡市で地下鉄が開業。ポートライナーや
ニュートラムなどの新交通システムが実用化され始めた年です。
…ポートライナーは神戸港沖の人工島で同年に開催された「ポート
ピア博覧会」のアクセス用だったワケですが、我が家では「連れて
行ってやる」と言われたものの実現しなかった覚えがあります。
国鉄では北海道の石勝線が開通して千歳から帯広方面への直通
運転が開始され、東海道本線の東京口に185系が導入されました。
…185系と言えば対象的なのが、前年から関西エリアに導入された
117系ですよ。双方とも老朽化した153系を置き換えるための車両
で、全席転換クロスシートで窓が開くと言う共通点があります。
しかし185系は特急用なのに117系は近郊用でしょ。
国鉄本社に近い東京口の方が明らかに豪華な仕様になっており、
関西人からすると釈然としない物になりました。
一方で前年に成立した「国鉄再建法」が正式に施行され、赤字路線
の切り捨てや後の分割民営化も視野に入れた施策が次々と実行
されて行く事になります。
さて私は4月から小学校の3年生ですね。
「中学年」と言う括りでクラス替えがあり、担任は竹村先生と言う
男の先生になりました。…40代後半ぐらいでしょうか?
体育のプールの授業の時に、白と青の縞々の「ザ・猿股」みたいな
海水パンツだった事を妙に強烈に覚えており、ソレ以外の記憶は
特にありません。
ウチの小学校では3年生から卒業式に列席する事になり、「56年度」
の話だから厳密には翌年なのですが、3学期になるとその練習に
時間を割かれるようになるんですよ。
…運動会の入場行進なども同様ですが、小学校と言う所は何故
アレの練習を何度もやらせるんでしょうね?「しっかりと揃ってる」
事を「訓練させた」と言う教師たちの自慢なのでしょうか?
卒業式の練習では「頻繁に体が動く」事をよく注意された記憶がある
んですが、当時の小学生男子って半ズボンでしょ?
ビニールレザーのパイプ椅子に長時間座らされると、座面と太腿の
皮膚がくっついて気持ち悪いのよ。…大人には理解出来ないわな。
3年と4年では同じクラスに脇田くんと言う男の子が居ました。
今で言う「境界知能」と言うか、ギリギリ普通学級の「足りない子」
であり、色々と振り回された記憶があります。
後に成人した彼は、働かない事と借金を返さない事を父親に叱責
され、刃物で父親を傷付けると言う傷害事件を起こしてしまいます。
…「えらいことをしてもうた」と言う全文字ひらがなの間抜けな供述
が新聞に載ってましたね。今でも生きてるんでしょうか?
この年の夏休み、母に連れられて初めて「ミステリー列車」なる物
に乗りました。キハ58系の普通車ばかりで10両編成でしたよ。
…今から思うと、乗るよりも外から撮りたい案件です。
4両で奈良を出て関西本線を走り、久宝寺から阪和貨物線を通って
和歌山方向へ走ります。和歌山で天王寺から来た6両編成と併結、
目的地は白浜の「ワールドサファリ」でした。
…ミステリー列車だから行先はクイズになってますが、列車名が
「ZOO号」って時点で、行先がドコかの動物園なのはバレバレです。
しかもカナリ早い段階で回答が発表されてしまい、退屈でしたな。
で多分同年だと思うんですが、父親が車に撥ねられると言う交通
事故がありました。
…何かの宴会が終わって店から出た時、酔っ払って同僚の先生
の車を誘導しつつ道路へ出た所を、走ってきた無関係な車に撥ね
られたようです。
家に電話が掛かってきたんですがウチには自家用車がナイので
伯父(父の兄)に来て貰い、母と祖母は私を残して病院へ行きました。
…それが何故か大阪の堺と言う矢鱈と遠い所へ救急搬送された
ようで、なかなか帰ってきません。心配してたら夜半を過ぎて、
当人はほぼ無傷な状態で帰ってきました。
話が大袈裟に伝わって「ご家族は最悪の事態も覚悟して下さい」
とか言われたようなんですが、打ち所が良かったのか?
どうも私から見ると総じて「鈍くさい人」なんですよ。天井の低い
所に頭をぶつけて、毛がナイから流血したり、野球部の生徒が
バットの素振りをしてる所へ近付きすぎて、顔面を強打したり…。
よくアレで80過ぎまで生きてたもんだと思いますが、運転免許を
持ってなかったのが良かったんでしょう。車に乗ってたらもっと
若くして死んでたと思われます。
…あの性格や注意力の無さは私には遺伝しなかったようで、私は
ソレほどの大怪我をする事なく現在に至っておりますよ。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
記事を紹介して参りますクラ駅長です。…1年は概ね52週間だから
10月の中頃までは引っ張れる事になりますね。
今回は1981年…昭和56年のお話です。
同年の出来事をWikipediaから拾ってみますと、意外と現在でも人気
の商品(主に食品関係)が発売開始されてる事が分かりました。
…ガリガリ君・雪見だいふく・麻婆春雨・リアルゴールドなどが同年の
発売開始なようです。
テレビでは「オレたちひょうきん族」や「Dr.スランプ アラレちゃん」の
放送が始まり、ワイドショーでは「深川通り魔殺人事件」や「ロス疑惑」
などの事件がよく取り上げられてたのを覚えています。
…殊に「ロス疑惑」は不倫だの保険金詐欺だのと「主婦好み」な要素
が多くウチの母親も熱心にテレビを見てました。アホですね。
同年の鉄道では京都市と福岡市で地下鉄が開業。ポートライナーや
ニュートラムなどの新交通システムが実用化され始めた年です。
…ポートライナーは神戸港沖の人工島で同年に開催された「ポート
ピア博覧会」のアクセス用だったワケですが、我が家では「連れて
行ってやる」と言われたものの実現しなかった覚えがあります。
国鉄では北海道の石勝線が開通して千歳から帯広方面への直通
運転が開始され、東海道本線の東京口に185系が導入されました。
…185系と言えば対象的なのが、前年から関西エリアに導入された
117系ですよ。双方とも老朽化した153系を置き換えるための車両
で、全席転換クロスシートで窓が開くと言う共通点があります。
しかし185系は特急用なのに117系は近郊用でしょ。
国鉄本社に近い東京口の方が明らかに豪華な仕様になっており、
関西人からすると釈然としない物になりました。
一方で前年に成立した「国鉄再建法」が正式に施行され、赤字路線
の切り捨てや後の分割民営化も視野に入れた施策が次々と実行
されて行く事になります。
さて私は4月から小学校の3年生ですね。
「中学年」と言う括りでクラス替えがあり、担任は竹村先生と言う
男の先生になりました。…40代後半ぐらいでしょうか?
体育のプールの授業の時に、白と青の縞々の「ザ・猿股」みたいな
海水パンツだった事を妙に強烈に覚えており、ソレ以外の記憶は
特にありません。
ウチの小学校では3年生から卒業式に列席する事になり、「56年度」
の話だから厳密には翌年なのですが、3学期になるとその練習に
時間を割かれるようになるんですよ。
…運動会の入場行進なども同様ですが、小学校と言う所は何故
アレの練習を何度もやらせるんでしょうね?「しっかりと揃ってる」
事を「訓練させた」と言う教師たちの自慢なのでしょうか?
卒業式の練習では「頻繁に体が動く」事をよく注意された記憶がある
んですが、当時の小学生男子って半ズボンでしょ?
ビニールレザーのパイプ椅子に長時間座らされると、座面と太腿の
皮膚がくっついて気持ち悪いのよ。…大人には理解出来ないわな。
3年と4年では同じクラスに脇田くんと言う男の子が居ました。
今で言う「境界知能」と言うか、ギリギリ普通学級の「足りない子」
であり、色々と振り回された記憶があります。
後に成人した彼は、働かない事と借金を返さない事を父親に叱責
され、刃物で父親を傷付けると言う傷害事件を起こしてしまいます。
…「えらいことをしてもうた」と言う全文字ひらがなの間抜けな供述
が新聞に載ってましたね。今でも生きてるんでしょうか?
この年の夏休み、母に連れられて初めて「ミステリー列車」なる物
に乗りました。キハ58系の普通車ばかりで10両編成でしたよ。
…今から思うと、乗るよりも外から撮りたい案件です。
4両で奈良を出て関西本線を走り、久宝寺から阪和貨物線を通って
和歌山方向へ走ります。和歌山で天王寺から来た6両編成と併結、
目的地は白浜の「ワールドサファリ」でした。
…ミステリー列車だから行先はクイズになってますが、列車名が
「ZOO号」って時点で、行先がドコかの動物園なのはバレバレです。
しかもカナリ早い段階で回答が発表されてしまい、退屈でしたな。
で多分同年だと思うんですが、父親が車に撥ねられると言う交通
事故がありました。
…何かの宴会が終わって店から出た時、酔っ払って同僚の先生
の車を誘導しつつ道路へ出た所を、走ってきた無関係な車に撥ね
られたようです。
家に電話が掛かってきたんですがウチには自家用車がナイので
伯父(父の兄)に来て貰い、母と祖母は私を残して病院へ行きました。
…それが何故か大阪の堺と言う矢鱈と遠い所へ救急搬送された
ようで、なかなか帰ってきません。心配してたら夜半を過ぎて、
当人はほぼ無傷な状態で帰ってきました。
話が大袈裟に伝わって「ご家族は最悪の事態も覚悟して下さい」
とか言われたようなんですが、打ち所が良かったのか?
どうも私から見ると総じて「鈍くさい人」なんですよ。天井の低い
所に頭をぶつけて、毛がナイから流血したり、野球部の生徒が
バットの素振りをしてる所へ近付きすぎて、顔面を強打したり…。
よくアレで80過ぎまで生きてたもんだと思いますが、運転免許を
持ってなかったのが良かったんでしょう。車に乗ってたらもっと
若くして死んでたと思われます。
…あの性格や注意力の無さは私には遺伝しなかったようで、私は
ソレほどの大怪我をする事なく現在に至っておりますよ。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
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