古い写真集を買いました
2023/06/07(Wed)
…今更な話なんですが、ヤフオクと言う所はホントに何でも売ってる
もんでして、色々と検索してるうちに懐かしい写真集を見付けたので
即決で買ってしまいましたクラ駅長です。
「ヤマケイのレールシリーズ」と言うB5判の物で、文章よりも大きな
カラー写真がメインの写真集です。…撮影者は当時から鉄道写真の
大家だった廣田尚敬氏ですね。
他に何があるのか全て把握してるワケではありませんが、このうち
国鉄の急行列車を扱った物が2冊ありました。西日本編と東日本編
に分けられており、何れも昭和55年の発行です。
…ちなみに当時は国鉄なので、この「西日本」と「東日本」は現在の
JRのソレではなく、日本列島を概ね東経138度線で割った区分です。
まだ新幹線は東海道と山陽しかナイ時代の事であり、当時の国鉄
には特急より格下の「急行」がカナリの本数で存在しました。
時代的な推移もあり、全てを網羅してるワケでもナイんでしょうが、
当時の急行列車が約90本ずつ、五十音順に紹介されています。
…私は当時、これの「西日本編」を持ってたんですよ。しかしいつの
間にやら散逸してしまったのと「東日本編」を見た事がなかったので、
懐かしくて即決で買う羽目になりました。
左は本の巻末に載ってる各列車の
ヘッドマークやサボの図録です。
当時は「全員プレゼント」みたいな
企画があり、応募するとコレと同じ
デザインのシールが貰えたように
覚えています。
…流石に付いて来ないか。
そんな感じで今回は、その「西日本編」の中から自分に近い天王寺
鉄道管理局内を走ってた急行列車を紹介する事にしましょう。
参考文献として、当時に近い昭和54年3月の時刻表を使います。
…これまた以後のネタとして別でも使えそうなので買ってみました。
まず名古屋~奈良の「かすが」
ですね。コレはJR移管後も意外
と最近まで残ってたワケですが、
当時から影の薄い存在と言うか、
自由席のみの2~3両編成です。
…写真の「かすが3号」は名古屋
発で、亀山まで紀伊勝浦行きの
「紀州3号」に併結されて走ります。
…当時の時刻表を見るに下り3本と上り4本の運転だから、意外と
奈良からも使いやすかったようですね。
続いてが「きのくに」。コレは基本的に天王寺~新宮の運転で、特急
「くろしお」の補完列車に相当します。
運転本数も下り13本、上り14本と全国的に見ても多いものでしたが、
国鉄末期に「くろしお」に格上げする格好で無くなってしまいました。
一部に南海難波発の、同社からの乗り入れ車両(南海版キハ55型)
を併結してた事でも知られれています。
右が「くまの」「紀州」の併結列車ですね。恐らくは同じタイミングで
同じ列車の前と後ろを撮った物でしょう。
「くまの」は1往復のみの存在ですが、京都から草津・亀山経由で
紀勢本線の東側を回って紀伊勝浦までと言う、今から考えると無駄
にトリッキーな走り方をします。…全区間を通して乗る人って居たん
でしょうか?
「紀州」は名古屋~紀伊勝浦の3往復ですが、亀山経由と伊勢線
経由があったり写真のように荷物車を連結する物があったり。
また名古屋発の最終となる5号が夜行だったり、一部の区間で別
の急行を併結したり…全てを覚えるのが困難なほど複雑ですな。
「志摩」は京都から草津・亀山経由で鳥羽までの1往復です。
区間だけ見ると近鉄の京伊特急に近いんですが、シェアの割合は
どの程度だったのか気になりますね。
「しらはま」も妙にトリッキーと言うか、京都から奈良線・桜井線・
和歌山線経由で白浜までの1往復と、帰りは奈良から関西本線へ
入って名古屋へ行く物が片道1本のみ。…数が合いませんけど?
ちなみに京都から奈良線・桜井線・和歌山線経由の急行は、後に
「紀ノ川」の1往復となり、紀勢本線の西側から急行が消滅するん
ですが、この時点では列車名としては存在していません。
「はまゆう」は伊勢と南紀方面を結ぶ系統で、下り1本・上り2本
の運転だと書いてあります。…また数が合わないじゃん。
てか最初の「かすが」「きのくに」の時点で変だし。全部が使い回し
可能なキハ58系だから、恐らくは普通や快速などの他の運用も
混ぜて何日か周期で全体的に回る運用が組まれてたのでしょう。
「平安」は名古屋から亀山・柘植・草津経由で京都までの1往復。
コレで草津線を通る急行は合計3往復と言う事になりますか。
こちらの方が近世以前の「東海道」に近く、米原経由の東海道
本線より9kmほど短かいそうな。
…急行列車ってのは下りの目的地を基準に名前を付ける場合
が多く、「平安」は下りの名古屋発が午前中なので「かすが」と
共に「名古屋局持ち」の列車だと言う事が分かります。
最後に忘れてはイカンのが、天王寺~名古屋を紀伊半島を一周
する格好で走る夜行列車「はやたま」ですね。…普通列車ですが
愛称があって、寝台車も連結されていました。
元は「南紀」と言う列車名だったのが、53.10(ゴオサントオ)の改正
で特急の運転系統を新宮で分け、西を「くろしお」、東を「南紀」と
した時に名前を盗られてしまったんです。
当時の私は小学校低学年であり、世代的には被ってるものの自由
に旅行が出来る歳では無かったので、知識でしか知らなかった
列車ばかりなのですよ。
…今更叶う夢ではナイので、せめて模型で再現出来ればと思い、
編成の参考になるかなと買ってみました。…てかコレだけでも調べて
書くのにカナリ時間が掛かって疲れましたが。
タイムマシンがあれば、まずこの時代から探ってみたい所ですね。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
もんでして、色々と検索してるうちに懐かしい写真集を見付けたので
即決で買ってしまいましたクラ駅長です。
「ヤマケイのレールシリーズ」と言うB5判の物で、文章よりも大きな
カラー写真がメインの写真集です。…撮影者は当時から鉄道写真の
大家だった廣田尚敬氏ですね。
他に何があるのか全て把握してるワケではありませんが、このうち
国鉄の急行列車を扱った物が2冊ありました。西日本編と東日本編
に分けられており、何れも昭和55年の発行です。
…ちなみに当時は国鉄なので、この「西日本」と「東日本」は現在の
JRのソレではなく、日本列島を概ね東経138度線で割った区分です。
まだ新幹線は東海道と山陽しかナイ時代の事であり、当時の国鉄
には特急より格下の「急行」がカナリの本数で存在しました。
時代的な推移もあり、全てを網羅してるワケでもナイんでしょうが、
当時の急行列車が約90本ずつ、五十音順に紹介されています。
…私は当時、これの「西日本編」を持ってたんですよ。しかしいつの
間にやら散逸してしまったのと「東日本編」を見た事がなかったので、
懐かしくて即決で買う羽目になりました。
左は本の巻末に載ってる各列車の
ヘッドマークやサボの図録です。
当時は「全員プレゼント」みたいな
企画があり、応募するとコレと同じ
デザインのシールが貰えたように
覚えています。
…流石に付いて来ないか。
そんな感じで今回は、その「西日本編」の中から自分に近い天王寺
鉄道管理局内を走ってた急行列車を紹介する事にしましょう。
参考文献として、当時に近い昭和54年3月の時刻表を使います。
…これまた以後のネタとして別でも使えそうなので買ってみました。
まず名古屋~奈良の「かすが」
ですね。コレはJR移管後も意外
と最近まで残ってたワケですが、
当時から影の薄い存在と言うか、
自由席のみの2~3両編成です。
…写真の「かすが3号」は名古屋
発で、亀山まで紀伊勝浦行きの
「紀州3号」に併結されて走ります。
…当時の時刻表を見るに下り3本と上り4本の運転だから、意外と
奈良からも使いやすかったようですね。
続いてが「きのくに」。コレは基本的に天王寺~新宮の運転で、特急
「くろしお」の補完列車に相当します。
運転本数も下り13本、上り14本と全国的に見ても多いものでしたが、
国鉄末期に「くろしお」に格上げする格好で無くなってしまいました。
一部に南海難波発の、同社からの乗り入れ車両(南海版キハ55型)
を併結してた事でも知られれています。
右が「くまの」「紀州」の併結列車ですね。恐らくは同じタイミングで
同じ列車の前と後ろを撮った物でしょう。
「くまの」は1往復のみの存在ですが、京都から草津・亀山経由で
紀勢本線の東側を回って紀伊勝浦までと言う、今から考えると無駄
にトリッキーな走り方をします。…全区間を通して乗る人って居たん
でしょうか?
「紀州」は名古屋~紀伊勝浦の3往復ですが、亀山経由と伊勢線
経由があったり写真のように荷物車を連結する物があったり。
また名古屋発の最終となる5号が夜行だったり、一部の区間で別
の急行を併結したり…全てを覚えるのが困難なほど複雑ですな。
「志摩」は京都から草津・亀山経由で鳥羽までの1往復です。
区間だけ見ると近鉄の京伊特急に近いんですが、シェアの割合は
どの程度だったのか気になりますね。
「しらはま」も妙にトリッキーと言うか、京都から奈良線・桜井線・
和歌山線経由で白浜までの1往復と、帰りは奈良から関西本線へ
入って名古屋へ行く物が片道1本のみ。…数が合いませんけど?
ちなみに京都から奈良線・桜井線・和歌山線経由の急行は、後に
「紀ノ川」の1往復となり、紀勢本線の西側から急行が消滅するん
ですが、この時点では列車名としては存在していません。
「はまゆう」は伊勢と南紀方面を結ぶ系統で、下り1本・上り2本
の運転だと書いてあります。…また数が合わないじゃん。
てか最初の「かすが」「きのくに」の時点で変だし。全部が使い回し
可能なキハ58系だから、恐らくは普通や快速などの他の運用も
混ぜて何日か周期で全体的に回る運用が組まれてたのでしょう。
「平安」は名古屋から亀山・柘植・草津経由で京都までの1往復。
コレで草津線を通る急行は合計3往復と言う事になりますか。
こちらの方が近世以前の「東海道」に近く、米原経由の東海道
本線より9kmほど短かいそうな。
…急行列車ってのは下りの目的地を基準に名前を付ける場合
が多く、「平安」は下りの名古屋発が午前中なので「かすが」と
共に「名古屋局持ち」の列車だと言う事が分かります。
最後に忘れてはイカンのが、天王寺~名古屋を紀伊半島を一周
する格好で走る夜行列車「はやたま」ですね。…普通列車ですが
愛称があって、寝台車も連結されていました。
元は「南紀」と言う列車名だったのが、53.10(ゴオサントオ)の改正
で特急の運転系統を新宮で分け、西を「くろしお」、東を「南紀」と
した時に名前を盗られてしまったんです。
当時の私は小学校低学年であり、世代的には被ってるものの自由
に旅行が出来る歳では無かったので、知識でしか知らなかった
列車ばかりなのですよ。
…今更叶う夢ではナイので、せめて模型で再現出来ればと思い、
編成の参考になるかなと買ってみました。…てかコレだけでも調べて
書くのにカナリ時間が掛かって疲れましたが。
タイムマシンがあれば、まずこの時代から探ってみたい所ですね。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1529 乗り鉄タイムトラベル