新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 ㊵-2

2023/08/13(Sun)

前回の「㊴」に引き続き、今週の「クラ駅長50年史」日曜日
及ぶ長編になってしまいましたクラ駅長です。

とにかく2012年平成24年も結構な「節目の年」だったと思われ
ますので、良ければお付き合い下さい。


前年の冬頃から他店舗高速道路サービスエリア)に応援勤務
に行かされる羽目になり、そのまま戻って来れない事が決定した
ので、ソレを節目に16年間勤務した外食産業の会社辞める事に
なった所からの続きですね。

…そもそも私はココの会社に関して、望んで入社したのでは無かった
就職活動真面目にやらなかった自業自得でもありますが)のと、
その中でもやりたかった販促や開発の部門行けず、延々と営業店
をタライ回しにされてる現状に不満だったんですよ。

しかも就職して初期の頃の回にも書いた通り、結構な数がある店舗
の殆どが別々の業態であり、転勤すると1から仕事を覚え直す
羽目になります。尚且つソノ人事「行き当たりばったり」な所が
嫌で仕方ありませんでした。

最終的には労働組合の仕事もしてたから、上部団体である電鉄会社
の労組幹部の人たち(その道では結構な権力者)とも顔見知りであり、
退職の挨拶回りに行った時に「事前に相談してくれたらよかったのに」
みたいな事も言って貰えたんですが、ソコだけ世話になって我儘を
通すのも気が引けます

ともあれ同年の4月頃仕事を辞め、「16年間何の娯楽もなかった
から」と言う事でゴールデンウィーク各種イベント楽しんでから
次の仕事を探そう」と思い、結果的に約3ヶ月間無職を楽しむ事に
しました。

退職金は世代的にギリギリ貰える契約になってたから、予想より
多く(給与にして2ヵ月分ぐらい)あったんですよ。失業保険とかも
申請したら出たかも知れませんが、手続きが面倒ヤメたかな。


木村鉄道参加し始めた頃だったので、就職活動は取り敢えず
最大の行事だと思われる6月の社員旅行(確か3回目山形方面
終わってからでイイだろうと、気楽に構えて関西圏のイベント
能勢電鉄とか紀州鉄道とか)から参加していく事になります。

今でも親交のある木村鉄道関係の皆さんとは、概ねコノ頃に知り
合いました。そう考えると「時が経つのは早い」もんですが。

…やはり最もインパクトが大きかったのは渡辺(ゆゆ385-2)さん
でしょうか?常に手製の赤制服だし、社長ツーショットを撮る時
ピンク色の紙ハート型に切り抜いた物を持ってきて、自分の
両目に貼ってるとか「この人すげぇな」と圧倒されたもんです。

あと話は少し前後しますが、前年辺りに寺本つるぎ(当時は椎名
へきゑさん今の職業に転職しており、その旨を書いたツイート
を見て「こんな若い子頑張ってるんだから」と自分も転職の決意
を再確認したような記憶もありますね。


次の仕事はもぅ、今やってるアレ(タクシー運転手)しかないだろう
と決めてました。

ただ仕事に必要な二種免許は、転職後会社の費用で取得する
事が可能(初心者はソレが一般的)な所を「自分が望んで就く仕事
だから」と言う事で、自費で取りに行く事にしたんですよ。

だから妙見山で行われたバーベキューのイベントは、自動車学校
の講義日程が被っており、途中退出でした。現地から学校まで
ルートを下見して「何時まで居れるか?」をシミュレーションした
覚えがあります。…社長が特別に出口まで送ってくれました。


そして自分自身では、近場から順乗り潰しを始める感じになって
ました。…当時のブログ残ってるから、しっかり調べて時系列に
並べる事も可能ですが、面倒なので雑にしか見てません

今から思えば当時のブログと言うのもカナリ雑な物であり、画像
も粗いし「今ならもっと細かく書いて記事数を稼げるのに…」と思う
ぐらい飛ばした書き方ですね。

40歳を目前にして、鉄道趣味再始動したような時期でした。
20年近い空白期間のうちに大きく変わってしまった部分も多く、
子供の頃に憧れていたもの同じようには行きませんでしたが。

そんな感じで仕事を辞めたから大阪に住んでる意味も無くなり
奈良へ戻る事になります。とは言え実家は色々と鬱陶しいので、
また独り暮らしです。

次にやりたい仕事勤務地を考慮して奈良市内で、乗り潰し
始めてたから、ソノ利便性も考えればJR奈良駅の近辺理想的
ですが、やはり家賃が高いから1つ北平城山駅前になりました。
…ココなら京都へ出る際の条件は同じなんですよ。

ちなみにソレまでは全て、住民票実家に置いたまま生活して
ましたが「正しい運転免許証が要るだろう」と言う事で、奈良市内
の住所に変更しています。


ともあれ木村鉄道社員旅行が終わり、7月に入ってから就職
(と言うか転職)の活動を始めます。…この業界は基本的に常に
人手不足のようで、いつでも求人募集が出ていました。

奈良市内には幾つかのタクシー会社がありますが、大きそうな順
に受ける事にしたら、最初の会社採用が決まってしまいました。

面接時に聞いた話では、運転手の転勤当人が希望した場合に
のみ行われると言う事だから、ずっと同じ職場で働けます。

また年中無休ではあるものの、シフト制だから当たれば土日でも
休めるし、希望すれば振り替えも可能との事です。
…ソレまでの業態に比べれば、画期的に自由が利きそうですね。

県内各地複数の営業所がある会社ですが、奈良市内中心部
エリアを管轄する所を希望して、コレまたそのまま通りました

学生時代歴史の勉強をやってたから観光案内がやりたかった
のと、ジャンボタクシー報道ハイヤーなど仕事の種類も多い
から、飽きずに働けそうに思えたんですよ。

また旅行者と言うのは地理が不案内だと取り敢えず県庁所在地
に来る習性があるので、思わぬ長距離客に当たるかも知れない。
郊外の営業所だと、駅と住宅地の往復に終始しそうで単調だろう。
…みたいな予想もあり、結果的にコレも概ね正解でした。

2週間ぐらい本社で研修をやり、営業所では最初は先輩の指導
受けつつコレまた2週間ぐらい走って、一人立ちしたのが同年
8月17日です。…社長(木村)の30歳の誕生日なので、キリが良く
覚えやすい日でした。


そして同年11月で、私は満40歳になります。
当時の記事にも書いたんですが、40歳設定の人物として最初に
浮かんだのが西村京太郎作品に登場する十津川警部ですよ。

…あの決断力や行動力を見るに、自分とはカナリ違う40歳だなと
思った覚えがあります。2時間ドラマなどで実写化される場合も、
もっと年配の俳優さんが演じる事が多いようですし。


仕事現在の物と一致すれば、以降は趣味関係の変遷に関して
書く事が多くなるでしょうか?次回も適当にお楽しみに

→次回に続く



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