駅ノート 岩鼻…空振り
2020/11/17(Tue)
そんな感じで山陽本線の宇部駅からタクシーに乗り、宇部線で1つ目
の岩鼻駅に到着しましたクラ駅長です。
…当たり前ですが運転手さんの言う通り、路地の奥に駅がありました。
線路が低い築堤の上にあるようで、駅舎も坂を登った所にあります。
付近は住宅地になってますから、通勤用と思しき自転車が多く並んで
います。…宇部線も赤字だ何だと廃止やLRT化の話があるようですが
一見すると利用者は多そうですよ。
路線や駅の雰囲気から察しが付く所ですが、同路線も元は私鉄の
宇部軽便鉄道から始まり、戦時中の昭和18年に国有化されました。
同駅は大正3年に停留所(仮駅)として開業し、昭和16年に正式な駅
として認可されたそうです。…駅舎は恐らく昭和16年当時の建築だと
思われますが、平成2年まで有人駅だったとの事です。
宇部線も基本は単線なので、交換設備のある2面2線の構造です。
上下線のホームは跨線橋で繋がれていました。
駅舎に付属する回廊と言うか、屋根を延長した部分などに戦前の
木造建築の流行デザインが見て取れます。
また当時はどんな車両だっのか不明ですが、最も古い部分のホーム
が矢鱈と低いんです。嵩上げされてる方は現在の電車の高さなので、
入線時に見てみると目測で30㎝は開いてるに思えました。
所で昔…昭和27年頃までは、隣の居能駅で接続している現在の
小野田線と周辺の貨物線との線形が違ってたそうです。
Wikipediaの説明をざっと読んだだけなのですが、ココから分岐
していた旧線の廃線跡があるようです。…安全側線の車止めの
向こうに見える道路がソレだと思われますが。
…と、ココまでスルーしてきましたが、駅ノートが見当たりません。
小さな駅なので着いて駅舎に入った直後に分かってましたけどね。
まず今年の1月にTwitter上で存在が確認されておりました。
その後絵師さんが描きに訪れたとか、ゆっくまーシールが貼られた
実績は報告されてなかったんですが、対象エリア内に「ある」との
情報があれば放置出来ません。…だからワザワザ来たんですが。
そもそもココは郊外の住宅地みたいな所なので、観光や駅そのもの
を目当てに降りる人は少ないでしょう。まず何で置かれたのかから
して謎なんですが、通学の高校生とかが多いとどぅしても荒れます。
早々に管理撤去されたんでしょう。
…久し振りの空振りですが、さてどぅしましょう?
特に規定はナイんですが番外編として扱うか否かは、ソコへ来る
のに掛かった手間や経費によって決まります。
同駅は実質的に「特牛のついで」なんですが、ココまでタクシー代
とかも使いましたので、折角だから番外編に加える事にします。
先述のように上下線のホームは跨線橋で繋がれてるワケですが、
駅舎に近い端っこに、踏切の跡らしき物があったんですよ。
そして遮断機に相当する物が残ってますが、コレが他所ではあまり
見ない感じの、スライド式のバーみたいな形なのです。コレにしよう。
…昔はこの規模の駅なら跨線橋や地下道は滅多になくて、大抵が
構内踏切でした。無理に渡るバカが居るから安全のために何でも
カンでも立体化するようになったのは、昭和末期頃の事でしょう。
なのでのろは国鉄制服、ぱのとてんは昭和の親子風にしてみました。
宇部駅は途中下車で出てきたので、帰りは1駅分の切符を買います。
本数は少ないけど時間になれば続きはホテルで描けばいいでしょう。
…と言う事で、いい時間で切り上げて宿泊地の下関へ向かいます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
の岩鼻駅に到着しましたクラ駅長です。
…当たり前ですが運転手さんの言う通り、路地の奥に駅がありました。
線路が低い築堤の上にあるようで、駅舎も坂を登った所にあります。
付近は住宅地になってますから、通勤用と思しき自転車が多く並んで
います。…宇部線も赤字だ何だと廃止やLRT化の話があるようですが
一見すると利用者は多そうですよ。
路線や駅の雰囲気から察しが付く所ですが、同路線も元は私鉄の
宇部軽便鉄道から始まり、戦時中の昭和18年に国有化されました。
同駅は大正3年に停留所(仮駅)として開業し、昭和16年に正式な駅
として認可されたそうです。…駅舎は恐らく昭和16年当時の建築だと
思われますが、平成2年まで有人駅だったとの事です。
宇部線も基本は単線なので、交換設備のある2面2線の構造です。
上下線のホームは跨線橋で繋がれていました。
駅舎に付属する回廊と言うか、屋根を延長した部分などに戦前の
木造建築の流行デザインが見て取れます。
また当時はどんな車両だっのか不明ですが、最も古い部分のホーム
が矢鱈と低いんです。嵩上げされてる方は現在の電車の高さなので、
入線時に見てみると目測で30㎝は開いてるに思えました。
所で昔…昭和27年頃までは、隣の居能駅で接続している現在の
小野田線と周辺の貨物線との線形が違ってたそうです。
Wikipediaの説明をざっと読んだだけなのですが、ココから分岐
していた旧線の廃線跡があるようです。…安全側線の車止めの
向こうに見える道路がソレだと思われますが。
…と、ココまでスルーしてきましたが、駅ノートが見当たりません。
小さな駅なので着いて駅舎に入った直後に分かってましたけどね。
まず今年の1月にTwitter上で存在が確認されておりました。
その後絵師さんが描きに訪れたとか、ゆっくまーシールが貼られた
実績は報告されてなかったんですが、対象エリア内に「ある」との
情報があれば放置出来ません。…だからワザワザ来たんですが。
そもそもココは郊外の住宅地みたいな所なので、観光や駅そのもの
を目当てに降りる人は少ないでしょう。まず何で置かれたのかから
して謎なんですが、通学の高校生とかが多いとどぅしても荒れます。
早々に管理撤去されたんでしょう。
…久し振りの空振りですが、さてどぅしましょう?
特に規定はナイんですが番外編として扱うか否かは、ソコへ来る
のに掛かった手間や経費によって決まります。
同駅は実質的に「特牛のついで」なんですが、ココまでタクシー代
とかも使いましたので、折角だから番外編に加える事にします。
先述のように上下線のホームは跨線橋で繋がれてるワケですが、
駅舎に近い端っこに、踏切の跡らしき物があったんですよ。
そして遮断機に相当する物が残ってますが、コレが他所ではあまり
見ない感じの、スライド式のバーみたいな形なのです。コレにしよう。
…昔はこの規模の駅なら跨線橋や地下道は滅多になくて、大抵が
構内踏切でした。無理に渡るバカが居るから安全のために何でも
カンでも立体化するようになったのは、昭和末期頃の事でしょう。
なのでのろは国鉄制服、ぱのとてんは昭和の親子風にしてみました。
宇部駅は途中下車で出てきたので、帰りは1駅分の切符を買います。
本数は少ないけど時間になれば続きはホテルで描けばいいでしょう。
…と言う事で、いい時間で切り上げて宿泊地の下関へ向かいます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.597 駅ノートの記録