1999年 大井川鉄道の旅 ④
2021/04/25(Sun)
…さて1999年の大井川鉄道の旅ですが、紆余曲折を経て辿り着いた
下泉からSL急行に乗り、本線の終点となる千頭を目指しております
クラ駅長です。
やはり車内にもカメラを向けていますが、この客車は何十年経っても
変わりようがナイですよね。
…車内の照明が1つ置きに消えてるのは何故なんでしょう?ちなみに
気になって調べて見たんですが、丸型の蛍光灯が日本国内で初めて
市販されたのは1953年の事だそうです。
そして私ですが、記録によるとコレは車内販売のおばさんに撮って
貰った事になっています。…被写体(私)を小さく写されてしまうのは
慣れてますが、コレは明らかなフレーミングの失敗ですよね。
…然りとて昔の「写ルンです」ではソノ場で確認して撮り直して貰う
ワケにも行きません。駅弁に関しての記録はナイんですが、座席の
下に明らかな空き容器があるから、車内で買って食べたのでしょう。
そんな感じでSL急行は大井川に沿ってソレなりに力強く走り、終点
の千頭に到着しました。
…改めて機関車の正面を見ると、何やら見慣れないヘッドマークが
付いていました。
画像を拡大してみると「京成電鉄創立90周年記念観光バスツアー」
と書いてあります。
同社の設立が1909年の事なので時期として正しい事になりますね。
主として老人向けのバスツアーの行程にSL列車の乗車を組み込む
事は割とある筈ですが、ソレなりに金を出せば自作のヘッドマークを
出して貰うのも可能だったと言う事でしょうか?
そのツアーの客と思われるおばさん達も嬉しそうです。生きてれば
80代ぐらいの人達でしょう。…てかおばさんって何でも指を差すよな。
そして千頭駅ですが、同年の7年前…1992年に現在の駅舎が新築
され、大井川本線は行き止まりの櫛型ホームになりました。
子供の頃に来た記憶では川に近い方に線路と平行に建った建物が
あった筈なので、この時の記録には「何か違う」と書いてあります。
…違うと言えば当時は金谷側に転車台が無かったので、SL列車の
帰路便は機回しだけを行ないバック運転で牽引してましたね。
今となっては貴重な写真かも知れません。
帰りはSLより先に出る電車急行に乗りました。近鉄16000系ですよ。
…当時は近鉄線内でも同系の車両がまだ現役であり妙な違和感を
感じたのか、当時の私もやはり細かく見ていました。
妻面にある形式銘板は、ある筈の近鉄マークが削り取られてました。
「新金谷車両区」の手書きっぷりは逆に鄙びたイイ感じです。
大井川鉄道ではワンマン運転を行うため、運賃表示器や運賃箱など
が追加されています。…特急車両でワンマン運転?まぁ仕方ナイ。
その他の掲示物などは近鉄のままです。注意書きにある「乗務員」は
近鉄社員を指して書かれた物の筈が、ココでは大井川鉄道なのか。
…コレは今でも同じような状況の掲示物を見た時に思う感想です。
座席を1区画外して車椅子のスペースにするのは当時の近鉄では
無かった発想です。…ちなみにこのシート、初期の国鉄の特急型と
同じように、回転しますがリクライニングの機能はありません。
シートカバーも近鉄からそのまま持ってきた物でしょうが、通常なら
クリーニングされて洗濯糊が効いてる筈の物が妙に柔らかく、ココ
の社員の方が普通に洗濯機で洗ってるんだろうなと想像しました。
朝が早かったり往路で色々と動きすぎたせいか帰りは途中で眠って
しまい、気が付いたら金谷駅に戻ってたようです。
良くも悪くもあまり変わらないと思ってた大井川鉄道ですが、やはり
20年も経つと色々と変化も感じられて面白かったです。
ぁ、子供の頃のアルバムを探せば、もっと古いのが出て来るかも。
機会があれば御紹介しましょう。
…続いて実家の大掃除の報告を1回挟み、新たな旅に出る事にします。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
下泉からSL急行に乗り、本線の終点となる千頭を目指しております
クラ駅長です。
やはり車内にもカメラを向けていますが、この客車は何十年経っても
変わりようがナイですよね。
…車内の照明が1つ置きに消えてるのは何故なんでしょう?ちなみに
気になって調べて見たんですが、丸型の蛍光灯が日本国内で初めて
市販されたのは1953年の事だそうです。
そして私ですが、記録によるとコレは車内販売のおばさんに撮って
貰った事になっています。…被写体(私)を小さく写されてしまうのは
慣れてますが、コレは明らかなフレーミングの失敗ですよね。
…然りとて昔の「写ルンです」ではソノ場で確認して撮り直して貰う
ワケにも行きません。駅弁に関しての記録はナイんですが、座席の
下に明らかな空き容器があるから、車内で買って食べたのでしょう。
そんな感じでSL急行は大井川に沿ってソレなりに力強く走り、終点
の千頭に到着しました。
…改めて機関車の正面を見ると、何やら見慣れないヘッドマークが
付いていました。
画像を拡大してみると「京成電鉄創立90周年記念観光バスツアー」
と書いてあります。
同社の設立が1909年の事なので時期として正しい事になりますね。
主として老人向けのバスツアーの行程にSL列車の乗車を組み込む
事は割とある筈ですが、ソレなりに金を出せば自作のヘッドマークを
出して貰うのも可能だったと言う事でしょうか?
そのツアーの客と思われるおばさん達も嬉しそうです。生きてれば
80代ぐらいの人達でしょう。…てかおばさんって何でも指を差すよな。
そして千頭駅ですが、同年の7年前…1992年に現在の駅舎が新築
され、大井川本線は行き止まりの櫛型ホームになりました。
子供の頃に来た記憶では川に近い方に線路と平行に建った建物が
あった筈なので、この時の記録には「何か違う」と書いてあります。
…違うと言えば当時は金谷側に転車台が無かったので、SL列車の
帰路便は機回しだけを行ないバック運転で牽引してましたね。
今となっては貴重な写真かも知れません。
帰りはSLより先に出る電車急行に乗りました。近鉄16000系ですよ。
…当時は近鉄線内でも同系の車両がまだ現役であり妙な違和感を
感じたのか、当時の私もやはり細かく見ていました。
妻面にある形式銘板は、ある筈の近鉄マークが削り取られてました。
「新金谷車両区」の手書きっぷりは逆に鄙びたイイ感じです。
大井川鉄道ではワンマン運転を行うため、運賃表示器や運賃箱など
が追加されています。…特急車両でワンマン運転?まぁ仕方ナイ。
その他の掲示物などは近鉄のままです。注意書きにある「乗務員」は
近鉄社員を指して書かれた物の筈が、ココでは大井川鉄道なのか。
…コレは今でも同じような状況の掲示物を見た時に思う感想です。
座席を1区画外して車椅子のスペースにするのは当時の近鉄では
無かった発想です。…ちなみにこのシート、初期の国鉄の特急型と
同じように、回転しますがリクライニングの機能はありません。
シートカバーも近鉄からそのまま持ってきた物でしょうが、通常なら
クリーニングされて洗濯糊が効いてる筈の物が妙に柔らかく、ココ
の社員の方が普通に洗濯機で洗ってるんだろうなと想像しました。
朝が早かったり往路で色々と動きすぎたせいか帰りは途中で眠って
しまい、気が付いたら金谷駅に戻ってたようです。
良くも悪くもあまり変わらないと思ってた大井川鉄道ですが、やはり
20年も経つと色々と変化も感じられて面白かったです。
ぁ、子供の頃のアルバムを探せば、もっと古いのが出て来るかも。
機会があれば御紹介しましょう。
…続いて実家の大掃除の報告を1回挟み、新たな旅に出る事にします。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.756 乗り鉄タイムトラベル