駅ノート 伊勢奥津
2021/06/01(Tue)
続いても駅ノートの記事なのですが、近場の単発物なので続けて
報告してしまいますクラ駅長です。
三重県の名松線の終点である伊勢奥津駅に駅ノートが復活したと
聞いて描きに行ってきました。
同駅には私が活動を始める少し前まで駅ノートが置かれていたワケ
ですが、ある時期から設置者不明の物が複数冊置かれる乱立状態と
なり、自治体(又はJR東海)によって一斉撤去されたらしいのです。
それが今年の初め頃から再び存在が確認されるようになりました。
奈良県からだと宇陀~御杖のルートで車で行けば楽な所であり、
コレは昔の伊勢本街道と言う、奈良から伊勢神宮へ参拝する旅人
が通ったルートとも重なります。
…何度か書いてる話ですが私は大学のゼミの行事で奈良から伊勢
まで徒歩で旅行した事があり、伊勢奥津は2日目の昼休憩の地点
だったんですよ。
鉄道が通じてるので部分参加の人はココで離脱。又はココから合流
する事も可能であり、その点からも思い出深い駅なのです。
すっかり定番化した軽トラックによる旅ですが、現在の駅舎は2005年
に新築された物であり、私が歩いてた頃の物とは違います。…当時
は、保存されている右書きの駅名票が付いていた古い駅舎でした。
駅としては無人駅ですが、建物が大きく市の出張所や観光案内所
などが入居しています。待合室の壁には以前から、名松線関係の
古い写真が多数貼られてたんですが、また数が増えた感じですね。
ローカル線だから蒸気機関車の時代はC11型、転車台がナイから
帰路はバック運転になったようです。その後の気動車の時代はドコ
にでもありそうな種々雑多な編成となっています。
そしてよく知られた話ですが「名松線」と言うのは同じ三重県の名張
と松阪を結ぶ計画があったから付いた名前です。
同線が計画された当時(大正~昭和初期)は現在の近鉄大阪線に
相当する区間も未開通であり、奈良県の桜井から伊勢奥津経由で
伊勢へ抜けるルートが画策されていたようです。
「42.11.2」と言う日付けがあるバスの写真がありました。…調べて
みると名張まで直通するバスは今年の3月末まで存在したようです。
カーナビでは40分と出てますから、路線バスなら1時間ぐらい?
駅ノートは駅スタンプと同じ台に置かれています。3冊ありますが
私が行った当日は1冊目の終盤ぐらいまで進んでおり、あとの2冊は
予備だと思われます。…つまり地元じゃなく遠方の人が置いたか?
やはりスタンプの無駄捺しが多いです。絵師さんの作品は見当たり
ませんでした。ゆっくまーシールはFUKさんのものが1点。
昔は島式ホームで機回しが可能な線形だったようですが、現在は
1本だけのホームで、車両はキハ11の300番台の単行が基本です。
そして線路の奥手には蒸気機関車時代の給水塔が残っています。
過去に駅ノートが存在した頃には他の絵師さんも描いていた定番の
アイテムなので、今回はコレを描いておきましょう。
のろの台詞に入れたように蒸気機関車という物は、石炭の7倍程度
の水を使うので、炭給設備より給水塔の方が多く必要になります。
だから機関区のナイ途中駅に、給水塔だけある所も多くありました。
ついでの事に以前に自分のスケッチブックに描いた絵も縮小コピー
した物を持参して、同じノートに貼っておきました。以てまとめサイト
では番外編として扱っていた同駅も正式なページに変更します。
同駅には自動券売機の類もナイのですが、奈良県から行ってるので
切符だけ買いに松阪まで行くのは不経済であり、後で地元へ戻って
から天理駅に立ち寄って今回の寄付代わりの乗車券を買いました。
リアルタイムの予定ではココからゴールデンウイークに入るんですが、
謎のウイルスが無くても私は休日に出掛けるのが嫌いなので、暫くは
実家の片付けに専念する事にします。
…補完ネタとして、また「乗り鉄タイムトラベル」でもやりましょうかね。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
報告してしまいますクラ駅長です。
三重県の名松線の終点である伊勢奥津駅に駅ノートが復活したと
聞いて描きに行ってきました。
同駅には私が活動を始める少し前まで駅ノートが置かれていたワケ
ですが、ある時期から設置者不明の物が複数冊置かれる乱立状態と
なり、自治体(又はJR東海)によって一斉撤去されたらしいのです。
それが今年の初め頃から再び存在が確認されるようになりました。
奈良県からだと宇陀~御杖のルートで車で行けば楽な所であり、
コレは昔の伊勢本街道と言う、奈良から伊勢神宮へ参拝する旅人
が通ったルートとも重なります。
…何度か書いてる話ですが私は大学のゼミの行事で奈良から伊勢
まで徒歩で旅行した事があり、伊勢奥津は2日目の昼休憩の地点
だったんですよ。
鉄道が通じてるので部分参加の人はココで離脱。又はココから合流
する事も可能であり、その点からも思い出深い駅なのです。
すっかり定番化した軽トラックによる旅ですが、現在の駅舎は2005年
に新築された物であり、私が歩いてた頃の物とは違います。…当時
は、保存されている右書きの駅名票が付いていた古い駅舎でした。
駅としては無人駅ですが、建物が大きく市の出張所や観光案内所
などが入居しています。待合室の壁には以前から、名松線関係の
古い写真が多数貼られてたんですが、また数が増えた感じですね。
ローカル線だから蒸気機関車の時代はC11型、転車台がナイから
帰路はバック運転になったようです。その後の気動車の時代はドコ
にでもありそうな種々雑多な編成となっています。
そしてよく知られた話ですが「名松線」と言うのは同じ三重県の名張
と松阪を結ぶ計画があったから付いた名前です。
同線が計画された当時(大正~昭和初期)は現在の近鉄大阪線に
相当する区間も未開通であり、奈良県の桜井から伊勢奥津経由で
伊勢へ抜けるルートが画策されていたようです。
「42.11.2」と言う日付けがあるバスの写真がありました。…調べて
みると名張まで直通するバスは今年の3月末まで存在したようです。
カーナビでは40分と出てますから、路線バスなら1時間ぐらい?
駅ノートは駅スタンプと同じ台に置かれています。3冊ありますが
私が行った当日は1冊目の終盤ぐらいまで進んでおり、あとの2冊は
予備だと思われます。…つまり地元じゃなく遠方の人が置いたか?
やはりスタンプの無駄捺しが多いです。絵師さんの作品は見当たり
ませんでした。ゆっくまーシールはFUKさんのものが1点。
昔は島式ホームで機回しが可能な線形だったようですが、現在は
1本だけのホームで、車両はキハ11の300番台の単行が基本です。
そして線路の奥手には蒸気機関車時代の給水塔が残っています。
過去に駅ノートが存在した頃には他の絵師さんも描いていた定番の
アイテムなので、今回はコレを描いておきましょう。
のろの台詞に入れたように蒸気機関車という物は、石炭の7倍程度
の水を使うので、炭給設備より給水塔の方が多く必要になります。
だから機関区のナイ途中駅に、給水塔だけある所も多くありました。
ついでの事に以前に自分のスケッチブックに描いた絵も縮小コピー
した物を持参して、同じノートに貼っておきました。以てまとめサイト
では番外編として扱っていた同駅も正式なページに変更します。
同駅には自動券売機の類もナイのですが、奈良県から行ってるので
切符だけ買いに松阪まで行くのは不経済であり、後で地元へ戻って
から天理駅に立ち寄って今回の寄付代わりの乗車券を買いました。
リアルタイムの予定ではココからゴールデンウイークに入るんですが、
謎のウイルスが無くても私は休日に出掛けるのが嫌いなので、暫くは
実家の片付けに専念する事にします。
…補完ネタとして、また「乗り鉄タイムトラベル」でもやりましょうかね。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.793 駅ノートの記録