2000年 北越急行の旅 ④
2021/06/06(Sun)
さて2000年の北越急行の旅ですが、再び直江津から今度はの特急
「はくたか81号」に乗り、越後湯沢までやって来ましたクラ駅長です。
当時はまだ「日本全国の鉄道を全て乗り潰そう」などと言う発想は
全く無く「何だか遠い所まで来てしまったもんだ」と思っただけでした。
…川端康成が国境の長いトンネルを抜けて「雪国」を書いた当時は
小さな駅だったのかも知れませんが、現在(この当時も大体同じ)の
越後湯沢駅は、上越新幹線も発着する大きな駅です。
背後に偶然、Y31系セドリックのタクシーが写り込みましたね。
昔から好きな車ですが、この時は自分で所有しようとは思ってません
でした。…タクシーへの転職はちょっと考えてましたが。
ココもトンボ帰りなので、駅でアイスクリームを買っただけですね。
しかし「コシヒカリが入った?アイス」とか、流石は新潟県です。
先に定期列車のはくたか号…JR西日本の485系が発車します。
当時はJR東日本の485系3000番台も1往復のみ運用に入ってた
ので、3社が入り乱れた状態で編成にも統一感がありませんね。
…グリーン車や自由席の位置が変わるのは、案内する側としては
好ましくナイ事かも知れません。
我々が先程乗ってきた北越急行の681系は、81号がそのまま82号
として折り返します。…今回の先輩の主目的を考えた結果、1本
待ってコレで直江津まで帰る事にしました。
…往路の直江津では時間が無くてあまり撮れなかったので、ココ
で時間を掛けて色々と撮ったようです。681系そのものは試作車が
1992年から走ってますが、まだ物珍しかった頃でしょう。
時速160kmを出すフロントはやはり流線形です。しかしコノ小さな
スノープラウで北陸の湿った雪は完全に飛ばせる物なのかね?
ガラ空きなのを良い事に車内も撮ってますね。
普通車・グリーン車とも現在は車内がリニューアルされ、シートも
変わってると思われますが、3列のグリーン車はまだ珍しかった
時代のような気がします。
…てか後継車種に至るまでコンセントが全席にナイのは残念です。
当時はまだ必要なかったかも知れませんが、このまま終わりそう。
そんな感じで直江津まで帰り、また先輩の車で関西まで帰ると言う
ハードな旅でした。…今だったら無理でしょうね。
このように当時は時々列車で遠方へ出掛けるものの、基本的には
車で走る方が面白かった時代であり、また写真を撮ってプリントする
にも今より面倒だし金も掛かる時代だから、残ってる物は少ないの。
…この点に関してはいい時代になりましたが、やはり鉄道に旅情を
感じる点では昔の方が楽しかったかな。
では続いて久し振りに駅ノートです。四国で幾つか新規確認があり
ましたので、その周辺も併せて報告する事にしましょう。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
「はくたか81号」に乗り、越後湯沢までやって来ましたクラ駅長です。
当時はまだ「日本全国の鉄道を全て乗り潰そう」などと言う発想は
全く無く「何だか遠い所まで来てしまったもんだ」と思っただけでした。
…川端康成が国境の長いトンネルを抜けて「雪国」を書いた当時は
小さな駅だったのかも知れませんが、現在(この当時も大体同じ)の
越後湯沢駅は、上越新幹線も発着する大きな駅です。
背後に偶然、Y31系セドリックのタクシーが写り込みましたね。
昔から好きな車ですが、この時は自分で所有しようとは思ってません
でした。…タクシーへの転職はちょっと考えてましたが。
ココもトンボ帰りなので、駅でアイスクリームを買っただけですね。
しかし「コシヒカリが入った?アイス」とか、流石は新潟県です。
先に定期列車のはくたか号…JR西日本の485系が発車します。
当時はJR東日本の485系3000番台も1往復のみ運用に入ってた
ので、3社が入り乱れた状態で編成にも統一感がありませんね。
…グリーン車や自由席の位置が変わるのは、案内する側としては
好ましくナイ事かも知れません。
我々が先程乗ってきた北越急行の681系は、81号がそのまま82号
として折り返します。…今回の先輩の主目的を考えた結果、1本
待ってコレで直江津まで帰る事にしました。
…往路の直江津では時間が無くてあまり撮れなかったので、ココ
で時間を掛けて色々と撮ったようです。681系そのものは試作車が
1992年から走ってますが、まだ物珍しかった頃でしょう。
時速160kmを出すフロントはやはり流線形です。しかしコノ小さな
スノープラウで北陸の湿った雪は完全に飛ばせる物なのかね?
ガラ空きなのを良い事に車内も撮ってますね。
普通車・グリーン車とも現在は車内がリニューアルされ、シートも
変わってると思われますが、3列のグリーン車はまだ珍しかった
時代のような気がします。
…てか後継車種に至るまでコンセントが全席にナイのは残念です。
当時はまだ必要なかったかも知れませんが、このまま終わりそう。
そんな感じで直江津まで帰り、また先輩の車で関西まで帰ると言う
ハードな旅でした。…今だったら無理でしょうね。
このように当時は時々列車で遠方へ出掛けるものの、基本的には
車で走る方が面白かった時代であり、また写真を撮ってプリントする
にも今より面倒だし金も掛かる時代だから、残ってる物は少ないの。
…この点に関してはいい時代になりましたが、やはり鉄道に旅情を
感じる点では昔の方が楽しかったかな。
では続いて久し振りに駅ノートです。四国で幾つか新規確認があり
ましたので、その周辺も併せて報告する事にしましょう。
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No.798 乗り鉄タイムトラベル