駅ノート 羽根
2022/10/01(Sat)
さて能登半島の駅ノート乱立エリアの報告の続きですが、3駅目
は宇出津の町を越えて羽根駅跡に向かいましたクラ駅長です。
…宇出津は奥能登地域では比較的開けた町になっており、かつて
の宇出津駅は「コンセールのと」と言う観光施設として再開発が
為されています。
なやはるるさんの駅ノートは恐らくは非公認の設置なので、その
ような場所に置く事は憚られたのでしょう。ココは通過になります。
羽根は宇出津の1つ奥手にあった駅です。ココまで見てきた能登線
の廃線跡によくある標準的なスタイルの無人駅だったようですが、
国道からのアクセスは良く、広めの駅前広場もありました。
てかココは今回の宿泊地にしている「能登うしつ荘」から約300mの
至近距離にあるのですよ。国道から高台へ上るアクセス道路の途中
にある感じでしょうか。
この国民宿舎には2度目の宿泊ですが、前回は意識してなかった
ので全く気が付きませんでした。…つまりココを描き終えれば数分
で自室に帰れる事になります。コレは便利ですね。
現役時代の駅名票は残ってナイし、同名のバス停も見当たらない
ので、「津波避難場所」の看板で代用しましょう。
…「旧鉄道羽根駅」と言う独特な表現が使われています。
駅前にはニワシロユリの花が何株か咲いていました。コレは自生
するような花なんでしょうか?付近の住民の方が彩りとして植えた
物かも知れません。
ゆるくカーブしたホームはカナリの長さがあり、6両編成ぐらい余裕
で停まれそうな感じです。
…国鉄時代の能登半島は普通も急行もキハ58系の2両ユニット
で必要に応じて長さを変えてたようなイメージがあります。
駅が営業していれば「能登うしつ荘」へのアクセスもイイ筈ですね。
駅の蛸島寄りには踏切の跡が残っていました。この付近は集落に
接していて、踏切を渡った山手側には墓地があります。
ホーム上の待合室もココまで見てきた各駅と似たような感じです。
同区間は高度経済成長期に「とにかく線路を延ばせ」と言う感じで
敷設されたのか、各駅の個性があまりナイように思えますね。
待合室内には昭和40年代の古い感謝状が残されていました。
右はこの近所の自治会の方が、冬場の除雪作業に協力したと言う
もの、右は「羽根生徒会」なる組織が、方法は不明ですが業績向上
に協力したと言う理由のもので、ともに金沢鉄道管理局長の名前
になっています。
…てか「羽根生徒会」って何なんでしょう?羽根駅の近くには高校も
中学校も存在しないようなのですが。
そしてのと鉄道時代の案内書きが1枚…元は国鉄(JR)線だから
「みどりの窓口」もそのまま使えたのでしょう。
駅ノートもココまでの駅跡と同じくなやはるるさんの設置です。
絵師さんの作品などは確認出来ませんでした。
さて絵の方ですが、ココは事前に思い付いたネタを描いたので
現地で考える手間が要りませんでした。
…「羽根」と言う駅名だから「ハネ」…B寝台という連想に至り、のろ
が待合室を改造してB寝台の一角を再現し、泊まりやすいように
リフォームしてしまったようです。
そう言えば東京のドコだったかに寝台特急「北斗星」をイメージした
ゲストハウスがありましたね。
ソレはいいとして、問題は待合室の軒下にあるスズメバチの巣です。
現役の駅じゃないから撤去する人も居ないようで、カナリ巨大な物
が完成しており、危険な状況になってました。
…当然にこんな所で描けるワケがなく、ココも車の荷台で描いて
います。よっぽど旅館に持ち帰ってやろうかと思いましたが、ソレ
では誰かさんと同じルール違反になってしまいます。
そんな感じで移動距離が短かい1日だったので、無事に3箇所の
駅ノートが描けました。3駅分に関する「おまけネタ」を紹介したら
今回の能登半島の報告は終了になります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
は宇出津の町を越えて羽根駅跡に向かいましたクラ駅長です。
…宇出津は奥能登地域では比較的開けた町になっており、かつて
の宇出津駅は「コンセールのと」と言う観光施設として再開発が
為されています。
なやはるるさんの駅ノートは恐らくは非公認の設置なので、その
ような場所に置く事は憚られたのでしょう。ココは通過になります。
羽根は宇出津の1つ奥手にあった駅です。ココまで見てきた能登線
の廃線跡によくある標準的なスタイルの無人駅だったようですが、
国道からのアクセスは良く、広めの駅前広場もありました。
てかココは今回の宿泊地にしている「能登うしつ荘」から約300mの
至近距離にあるのですよ。国道から高台へ上るアクセス道路の途中
にある感じでしょうか。
この国民宿舎には2度目の宿泊ですが、前回は意識してなかった
ので全く気が付きませんでした。…つまりココを描き終えれば数分
で自室に帰れる事になります。コレは便利ですね。
現役時代の駅名票は残ってナイし、同名のバス停も見当たらない
ので、「津波避難場所」の看板で代用しましょう。
…「旧鉄道羽根駅」と言う独特な表現が使われています。
駅前にはニワシロユリの花が何株か咲いていました。コレは自生
するような花なんでしょうか?付近の住民の方が彩りとして植えた
物かも知れません。
ゆるくカーブしたホームはカナリの長さがあり、6両編成ぐらい余裕
で停まれそうな感じです。
…国鉄時代の能登半島は普通も急行もキハ58系の2両ユニット
で必要に応じて長さを変えてたようなイメージがあります。
駅が営業していれば「能登うしつ荘」へのアクセスもイイ筈ですね。
駅の蛸島寄りには踏切の跡が残っていました。この付近は集落に
接していて、踏切を渡った山手側には墓地があります。
ホーム上の待合室もココまで見てきた各駅と似たような感じです。
同区間は高度経済成長期に「とにかく線路を延ばせ」と言う感じで
敷設されたのか、各駅の個性があまりナイように思えますね。
待合室内には昭和40年代の古い感謝状が残されていました。
右はこの近所の自治会の方が、冬場の除雪作業に協力したと言う
もの、右は「羽根生徒会」なる組織が、方法は不明ですが業績向上
に協力したと言う理由のもので、ともに金沢鉄道管理局長の名前
になっています。
…てか「羽根生徒会」って何なんでしょう?羽根駅の近くには高校も
中学校も存在しないようなのですが。
そしてのと鉄道時代の案内書きが1枚…元は国鉄(JR)線だから
「みどりの窓口」もそのまま使えたのでしょう。
駅ノートもココまでの駅跡と同じくなやはるるさんの設置です。
絵師さんの作品などは確認出来ませんでした。
さて絵の方ですが、ココは事前に思い付いたネタを描いたので
現地で考える手間が要りませんでした。
…「羽根」と言う駅名だから「ハネ」…B寝台という連想に至り、のろ
が待合室を改造してB寝台の一角を再現し、泊まりやすいように
リフォームしてしまったようです。
そう言えば東京のドコだったかに寝台特急「北斗星」をイメージした
ゲストハウスがありましたね。
ソレはいいとして、問題は待合室の軒下にあるスズメバチの巣です。
現役の駅じゃないから撤去する人も居ないようで、カナリ巨大な物
が完成しており、危険な状況になってました。
…当然にこんな所で描けるワケがなく、ココも車の荷台で描いて
います。よっぽど旅館に持ち帰ってやろうかと思いましたが、ソレ
では誰かさんと同じルール違反になってしまいます。
そんな感じで移動距離が短かい1日だったので、無事に3箇所の
駅ノートが描けました。3駅分に関する「おまけネタ」を紹介したら
今回の能登半島の報告は終了になります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1280 駅ノートの記録