下津井電鉄 児島駅を探る
2022/12/02(Fri)
そんな感じで到着した岡山県の児島ですが、当初は駅からバスで
下津井へ向かおうと思ってた所へ、予定外のネタを1件思い付き
ましたので、先にソレを済ませる事にしましたクラ駅長です。
前回は下津井電鉄の廃線跡(茶屋町~下津井)を自転車で走った
ワケですが、最末期に始発駅だった児島駅跡の建物が工事中で
中に入れなかったんですよ。
…あれから半年以上経ったのでもう行けるだろうと思い、寄り道
する事にしました。JRの児島駅とは約800m離れてるので、絵の
道具を持って歩くのも面倒であり、タクシーで行きます。
運転手さんに話を振ると「最近通りましたよ」との事なので、やはり
大丈夫なようです。
写真を撮る間だけ待ってて貰って、そのまま下津井まで行けばイイ
でしょう。…やはり工事は完了しており、中に入る事が出来ました。
同社路線は昭和47年に内陸部の茶屋町~児島が廃止され、平成
元年の全廃までココが仮の始発駅として使われていました。
鉄道の廃止後も暫くは同社の旅行センターなどとして使われていた
ものが、現在は廃線跡の土地とともに倉敷市に譲渡され「風の道」
と言う遊歩道の一部として機能しています。
…但し建物内を通り抜ける事が出来るのは日中に限られるようで、
夜間は閉鎖&周辺の道路を迂回する必要があるようです。
そもそも児島駅の位置からして、上記区間の廃止や町の区画整理
で何度か変わっており、この場所に固定されたのが昭和61年、
駅舎が完成したのが昭和63年の事なのだそうです。
零細軽便鉄道にしては現代的な建物だと思ったら、そう言う事か。
…しかし平成元年には廃止されてますから、勿体ない話です。
入ると左手に、ロフトみたいな中2階になった構造物がありました。
現役時代の事は知らないんですが、コレは当時からあった物?
上に何かがあるワケでもなく、反対側へ降りるだけの構造です。
その階段横に腕木信号機が保存されています。
…昭和末期なら流石に自動閉塞システムぐらい入れてただろうし、
最終的には全線1閉塞だったからカナリ古い物でしょう。
「メリーベル号」などの看板もあるから廃止時はオブジェだろうな。
お約束のタブレット閉塞機もありますね。用途や使い方を書いて
おかないと、若い世代には何の機械やら分からない物でしょう。
…てか私でも詳細な仕組みまでは正確に理解していません。
1両か2両の軽便鉄道が発着する駅としては無駄に奥行きが深い
ような気もするんですが、Wikipediaを見るとテナント店舗なども
入ってたらしく、手前部分は殆どソレだったのかも知れません。
更に進むとようやく乗り場の跡らしき物が出てきました。始発駅に
よくある2面1線の構造で、乗車と降車を分けてたと思われます。
駅名票が当時の物かは不明ですが、次の駅が備前赤崎なのは事実。
そのまま向かって右側のホームから屋外へ出て、終端部のスロープ
から地面へ降り、廃線跡の遊歩道へ続く構造になっていました。
左手は下電バスの車庫になっています。
取り敢えず前回のリベンジも出来て、1回分の記事にもなりました。
そのままタクシーで下津井方面へ向かい、こちらの駅跡も見学して
駅ノートを描く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
下津井へ向かおうと思ってた所へ、予定外のネタを1件思い付き
ましたので、先にソレを済ませる事にしましたクラ駅長です。
前回は下津井電鉄の廃線跡(茶屋町~下津井)を自転車で走った
ワケですが、最末期に始発駅だった児島駅跡の建物が工事中で
中に入れなかったんですよ。
…あれから半年以上経ったのでもう行けるだろうと思い、寄り道
する事にしました。JRの児島駅とは約800m離れてるので、絵の
道具を持って歩くのも面倒であり、タクシーで行きます。
運転手さんに話を振ると「最近通りましたよ」との事なので、やはり
大丈夫なようです。
写真を撮る間だけ待ってて貰って、そのまま下津井まで行けばイイ
でしょう。…やはり工事は完了しており、中に入る事が出来ました。
同社路線は昭和47年に内陸部の茶屋町~児島が廃止され、平成
元年の全廃までココが仮の始発駅として使われていました。
鉄道の廃止後も暫くは同社の旅行センターなどとして使われていた
ものが、現在は廃線跡の土地とともに倉敷市に譲渡され「風の道」
と言う遊歩道の一部として機能しています。
…但し建物内を通り抜ける事が出来るのは日中に限られるようで、
夜間は閉鎖&周辺の道路を迂回する必要があるようです。
そもそも児島駅の位置からして、上記区間の廃止や町の区画整理
で何度か変わっており、この場所に固定されたのが昭和61年、
駅舎が完成したのが昭和63年の事なのだそうです。
零細軽便鉄道にしては現代的な建物だと思ったら、そう言う事か。
…しかし平成元年には廃止されてますから、勿体ない話です。
入ると左手に、ロフトみたいな中2階になった構造物がありました。
現役時代の事は知らないんですが、コレは当時からあった物?
上に何かがあるワケでもなく、反対側へ降りるだけの構造です。
その階段横に腕木信号機が保存されています。
…昭和末期なら流石に自動閉塞システムぐらい入れてただろうし、
最終的には全線1閉塞だったからカナリ古い物でしょう。
「メリーベル号」などの看板もあるから廃止時はオブジェだろうな。
お約束のタブレット閉塞機もありますね。用途や使い方を書いて
おかないと、若い世代には何の機械やら分からない物でしょう。
…てか私でも詳細な仕組みまでは正確に理解していません。
1両か2両の軽便鉄道が発着する駅としては無駄に奥行きが深い
ような気もするんですが、Wikipediaを見るとテナント店舗なども
入ってたらしく、手前部分は殆どソレだったのかも知れません。
更に進むとようやく乗り場の跡らしき物が出てきました。始発駅に
よくある2面1線の構造で、乗車と降車を分けてたと思われます。
駅名票が当時の物かは不明ですが、次の駅が備前赤崎なのは事実。
そのまま向かって右側のホームから屋外へ出て、終端部のスロープ
から地面へ降り、廃線跡の遊歩道へ続く構造になっていました。
左手は下電バスの車庫になっています。
取り敢えず前回のリベンジも出来て、1回分の記事にもなりました。
そのままタクシーで下津井方面へ向かい、こちらの駅跡も見学して
駅ノートを描く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1342 鉄道保存施設を探る