駅ノート 母野③
2023/01/13(Fri)
高山本線の上枝で駅ノートを描き、高山駅近くの保存車両を見学
した後、往路と同じルートを通って郡上八幡で1泊。翌日は長良川
鉄道の母野で、3巡目の駅ノートを描く事にしましたクラ駅長です。
…今回の郡上八幡での宿泊は珍しくビジネスホテルではなく城下町
の中にある旅館だったんですが、構成の都合でソノ辺りは明日の
「おまけネタ」に回す事にしましょう。
…現地へは郡上八幡の市街地から車で30分程度の距離です。
この辺りも平成の大合併で市域が拡大し、母野駅のすぐ南側まで
が郡上市、その先が美濃市と言う所にあるんですよ。
母野は前回の訪問から5ヵ月程度なんですが、この付近で中途半端
に残ってるのはココだけなので、一緒に片付けておく事にしました。
美濃から郡上八幡へ抜ける国道沿いにあるんですが、駅舎がなく
駅への入口も狭いので、気を付けて見ておかないと通り過ぎて
しまう立地にあります。
元は交換設備や駅舎もあったと思われる跡が残る駅ですが、現在
は棒線構造で小さな待合室しかナイ、最低限の駅ですね。
両隣が木尾と洲原と言う駅なんですが、今回はこの両駅名がネタの
一部になってますので、覚えておいて下さい。
光線具合から見て夕方の雰囲気になってますが、朝7時に旅館を
出て幾つか寄り道しつつ来たので、まだ朝の8時過ぎなんです。
いいお天気で日当たりが良く、線路と線路脇のススキの穂が光って
見えました。…一般的に「秋=夕方」な写真が撮られる事が多いから
こちらも午後の雰囲気ですが、朝8時です。
駅ノートは簡素な待合室(元は転轍機レバーの小屋らしい)の中
に置かれています。設置が確認された当初からの物で、前回以降
の絵師さんの作品などは確認出来ませんでした。
…代わりに一般的な記載内容から、幾つか拾ってみましょう。
同駅の前を走る国道156号線は意外と交通量の多い街道であり、
付近に幾つかの飲食店があります。…前回ネタにしましたね。
右上の「2000年のラーメン」と言うのは中華料理2000年と言うお店、
右下の「ソフトクリーム」はその手前にあるこなもんやと言う売店で
売られてた物でしょう。
前回はこなもんやでお好み焼きなどを買ったので、今回は中華料理。
と思ったんですが、この時間ではまだ開店前でしょう。
…てかGoogleの口コミを読むと、好き嫌いがハッキリ分かれる状況
になってまして、私は「ちょっと無理かな」と言う方に入ると思われ
るのでヤメておきます。個人経営の飲食店は地雷率が高いし。
そんな感じで今回は、南東へ約1kmの所にある洲原神社へ行って
みました。付近では大きな神社の部類に入るようで、立派な社殿が
幾つも並んでいます。
平日の早朝だから空いてますが、お祭りの時などには沢山の人
が来るのでしょう。
…そして中程で書いた駅名の話なんですが、Wikipediaで母野駅
の歴史を見てみると、以下のような流れになっていました。
① 昭和2年、美濃洲原駅として開業。
② 昭和31年、木尾駅に改称。翌年、隣に2代目美濃洲原駅が開業。
③ 昭和61年、母野駅に改称。同時に反対側に木尾駅が開業。
そして美濃洲原駅は洲原駅に改称。
…現在の母野駅は2度も駅名を隣に譲ってるんですね。
そして洲原神社への参詣最寄駅と言う立場も、現在の洲原駅に
取られてしまったようです。何となく可哀想な気がしました。
地元の人は混乱しなかったのか?とも思いますが、30年間隔なら
ソレほど問題にならなかったのかも知れません。
ともあれ次回は同日前後の「おまけネタ」を紹介して、今回の報告
を終える事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
した後、往路と同じルートを通って郡上八幡で1泊。翌日は長良川
鉄道の母野で、3巡目の駅ノートを描く事にしましたクラ駅長です。
…今回の郡上八幡での宿泊は珍しくビジネスホテルではなく城下町
の中にある旅館だったんですが、構成の都合でソノ辺りは明日の
「おまけネタ」に回す事にしましょう。
…現地へは郡上八幡の市街地から車で30分程度の距離です。
この辺りも平成の大合併で市域が拡大し、母野駅のすぐ南側まで
が郡上市、その先が美濃市と言う所にあるんですよ。
母野は前回の訪問から5ヵ月程度なんですが、この付近で中途半端
に残ってるのはココだけなので、一緒に片付けておく事にしました。
美濃から郡上八幡へ抜ける国道沿いにあるんですが、駅舎がなく
駅への入口も狭いので、気を付けて見ておかないと通り過ぎて
しまう立地にあります。
元は交換設備や駅舎もあったと思われる跡が残る駅ですが、現在
は棒線構造で小さな待合室しかナイ、最低限の駅ですね。
両隣が木尾と洲原と言う駅なんですが、今回はこの両駅名がネタの
一部になってますので、覚えておいて下さい。
光線具合から見て夕方の雰囲気になってますが、朝7時に旅館を
出て幾つか寄り道しつつ来たので、まだ朝の8時過ぎなんです。
いいお天気で日当たりが良く、線路と線路脇のススキの穂が光って
見えました。…一般的に「秋=夕方」な写真が撮られる事が多いから
こちらも午後の雰囲気ですが、朝8時です。
駅ノートは簡素な待合室(元は転轍機レバーの小屋らしい)の中
に置かれています。設置が確認された当初からの物で、前回以降
の絵師さんの作品などは確認出来ませんでした。
…代わりに一般的な記載内容から、幾つか拾ってみましょう。
同駅の前を走る国道156号線は意外と交通量の多い街道であり、
付近に幾つかの飲食店があります。…前回ネタにしましたね。
右上の「2000年のラーメン」と言うのは中華料理2000年と言うお店、
右下の「ソフトクリーム」はその手前にあるこなもんやと言う売店で
売られてた物でしょう。
前回はこなもんやでお好み焼きなどを買ったので、今回は中華料理。
と思ったんですが、この時間ではまだ開店前でしょう。
…てかGoogleの口コミを読むと、好き嫌いがハッキリ分かれる状況
になってまして、私は「ちょっと無理かな」と言う方に入ると思われ
るのでヤメておきます。個人経営の飲食店は地雷率が高いし。
そんな感じで今回は、南東へ約1kmの所にある洲原神社へ行って
みました。付近では大きな神社の部類に入るようで、立派な社殿が
幾つも並んでいます。
平日の早朝だから空いてますが、お祭りの時などには沢山の人
が来るのでしょう。
…そして中程で書いた駅名の話なんですが、Wikipediaで母野駅
の歴史を見てみると、以下のような流れになっていました。
① 昭和2年、美濃洲原駅として開業。
② 昭和31年、木尾駅に改称。翌年、隣に2代目美濃洲原駅が開業。
③ 昭和61年、母野駅に改称。同時に反対側に木尾駅が開業。
そして美濃洲原駅は洲原駅に改称。
…現在の母野駅は2度も駅名を隣に譲ってるんですね。
そして洲原神社への参詣最寄駅と言う立場も、現在の洲原駅に
取られてしまったようです。何となく可哀想な気がしました。
地元の人は混乱しなかったのか?とも思いますが、30年間隔なら
ソレほど問題にならなかったのかも知れません。
ともあれ次回は同日前後の「おまけネタ」を紹介して、今回の報告
を終える事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1384 駅ノートの記録