クラ駅長50年史 補足①
2023/01/15(Sun)
そんな感じで「クラ駅長50年史」も10年分が経過しました。
…通し番号は「0」から始めてるので、実質的には11回ですが。
小学校に入ると、色々と覚えてる事も増えてくるので、ココで一度
「書き洩らしたネタ」を拾ってみる事に致しますクラ駅長です。
過去に「⑦」が2回分あったり、給湯設備や母の手料理についても
書いてるワケですが、その辺りとの差は私でも分かりません。
私が行ってた小学校では年に一度、「全校ハイキング」と言う遠足が
ありました。その名の通り全校児童が全員で同じ目的地まで歩いて
行くんですが、コレが丁度私が1年生の年から始まったんですよ。
…但し当時の事だから矢鱈と人数が多く、1学年120名程度のが
6学年だから単純計算で720名になりますか。
上から下まで学年混合で縦割りの班になっており、低学年は社会性
を、高学年はリーダーシップなどを学ぶ目的のようです。
その中で2度、天理市にある長岳寺と言うお寺へ行きました。
学校から片道7.5km程度の所で、秋は紅葉がキレイな所です。
…ココのお寺は鐘を1人1回ずつ自由に撞いていい事になってるん
ですが、子供だからみんな撞きたいワケですよ。
約700人が誰も遠慮しないから、滞在中の鐘撞き堂は長蛇の列に
なっており、ずっと鳴りっ放しと言う近所迷惑な状況でした。
アレは今でもやってるんでしょうか?…最近は子供の数も減ってる
でしょうから、あそこまで迷惑でもナイとは思いますが。ちなみに今
観光の仕事でお客さんを案内した時は、ソレをネタに喋ってます。
そして2年生の時ですが、理科か何かで「シャボン玉を扱うから石鹸
を持ってきなさい」と言う指示があったんですよ。
殆どの子が新品の石鹸を持ってきた中で、私だけ使い古しの小さい
湿ったやつを持たされた記憶があります。
母は特にケチだったとも思えないんですが、周囲のお母さん方より
10歳程度フケてるので、感覚のズレがあったんでしょう。
…コレは流石に帰って怒鳴りつけました。
他にも遠足に持って行くリュックサックとて今風のマジックテープ
やファスナーで開け閉めする物ではなく、紐で縛るタイプのナップ
サックを買ってくるとか、センスが一々ズレてました。
…今のお母さんって、30歳も40歳もソレほど差はナイと思いますが、
人生で太平洋戦争を挟んでるか否かだと、大きな差だと思います。
3年生以降は、音楽だけは専門の先生が音楽室で教えるように
なったんですが、この中嶋先生(女性)と言う人が、典型的な
ヒステリー症の人だったんですよ。
岡田くんと言う、コレまた落ち着きのナイ子が居て、何で怒られた
のか忘れましたが、先生に音楽の指揮棒で殴られ、先端が折れて
飛んで行った事がありました。
…今だったら体罰として問題化してたでしょうね。以後にも「指導」
と称して明らかな暴力を振るう先生が時々出て来るんですが、当時
の私は「子供に人権などナイ」と思ってたので、そのまま放置です。
4年生の担任だった橋本先生には意地の悪い「引っ掛け」をされた
事がありましたね。
まず朝の1時間目から意図的に、教卓から向かって右なら右の
児童にだけ話し掛けるように授業を行います。そうすると昼頃には
左側の子供が飽きてきて、私語や要らん「内職」をし始めます。
…で5時間目にソレを明かし、「あんた達は全然聞いてナイでしょ」
みたいな事で怒られるんですよ。
恐らくは何かの研修会とかで聞き齧ってきたネタを試してみたん
でしょう。児童の立場からすると、そこから何を学べば良いのか?
教師側の単なる「退屈しのぎ」だったのかも知れません。
小学校の6年間を通じて、ずっと同じクラスだった者も何名か居た
んですが、その中で高橋くんと言う男の子と殊に仲良くしていました。
彼も私と同じで兄弟の居ない一人っ子で、鉄道好きと言う共通点
があったんですよね。但し彼の家は裕福な金持ちで、その辺りは
私と少し違ってたんですが。
昭和57年だから4年生の時でしょうが、彼と2人で大阪駅主催の
ミステリー列車に乗りに行った事があります。
…明治7年に京都~大阪の鉄道が開業した際、出発の合図に
使われていた「時の鐘」がドコからか発見され、それを加悦鉄道
に保存されている当時の機関車(旧120型)と再会させてやろうと
言う趣旨だったようです。
大阪から福知山・綾部・西舞鶴経由で丹後山田(当時)まで行き、
まだ現役だった加悦鉄道に乗り換えて終点の加悦(現役時代は
ココに保存車両があった)まで行くと言うルートです。
国鉄部分がキハ181系、加悦鉄道内はキハ10とキハ08の重連
の臨時列車と言う、同社にすれば豪華な物です。
…まだ小学生でしたが、こんなイベントでもナイと「行ってみよう」と
いう発想の出ない所であり、今から考えると貴重な体験でしたよ。
この辺りから段々と、近場の乗り鉄なら親から独立して自分1人や
友達と一緒に出掛けるようになりました。
ちなみに父と1泊で大井川鉄道へ出掛けたのも、この年だったと
思います。その辺りの話は以前に書きましたっけね。
ではまた次回の土曜日に続けます。来年は11歳で小学5年生か。
高学年ともなれば自我も確立されると言うか、色々と自己主張の
強い子供になって行ったような気がします。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
…通し番号は「0」から始めてるので、実質的には11回ですが。
小学校に入ると、色々と覚えてる事も増えてくるので、ココで一度
「書き洩らしたネタ」を拾ってみる事に致しますクラ駅長です。
過去に「⑦」が2回分あったり、給湯設備や母の手料理についても
書いてるワケですが、その辺りとの差は私でも分かりません。
私が行ってた小学校では年に一度、「全校ハイキング」と言う遠足が
ありました。その名の通り全校児童が全員で同じ目的地まで歩いて
行くんですが、コレが丁度私が1年生の年から始まったんですよ。
…但し当時の事だから矢鱈と人数が多く、1学年120名程度のが
6学年だから単純計算で720名になりますか。
上から下まで学年混合で縦割りの班になっており、低学年は社会性
を、高学年はリーダーシップなどを学ぶ目的のようです。
その中で2度、天理市にある長岳寺と言うお寺へ行きました。
学校から片道7.5km程度の所で、秋は紅葉がキレイな所です。
…ココのお寺は鐘を1人1回ずつ自由に撞いていい事になってるん
ですが、子供だからみんな撞きたいワケですよ。
約700人が誰も遠慮しないから、滞在中の鐘撞き堂は長蛇の列に
なっており、ずっと鳴りっ放しと言う近所迷惑な状況でした。
アレは今でもやってるんでしょうか?…最近は子供の数も減ってる
でしょうから、あそこまで迷惑でもナイとは思いますが。ちなみに今
観光の仕事でお客さんを案内した時は、ソレをネタに喋ってます。
そして2年生の時ですが、理科か何かで「シャボン玉を扱うから石鹸
を持ってきなさい」と言う指示があったんですよ。
殆どの子が新品の石鹸を持ってきた中で、私だけ使い古しの小さい
湿ったやつを持たされた記憶があります。
母は特にケチだったとも思えないんですが、周囲のお母さん方より
10歳程度フケてるので、感覚のズレがあったんでしょう。
…コレは流石に帰って怒鳴りつけました。
他にも遠足に持って行くリュックサックとて今風のマジックテープ
やファスナーで開け閉めする物ではなく、紐で縛るタイプのナップ
サックを買ってくるとか、センスが一々ズレてました。
…今のお母さんって、30歳も40歳もソレほど差はナイと思いますが、
人生で太平洋戦争を挟んでるか否かだと、大きな差だと思います。
3年生以降は、音楽だけは専門の先生が音楽室で教えるように
なったんですが、この中嶋先生(女性)と言う人が、典型的な
ヒステリー症の人だったんですよ。
岡田くんと言う、コレまた落ち着きのナイ子が居て、何で怒られた
のか忘れましたが、先生に音楽の指揮棒で殴られ、先端が折れて
飛んで行った事がありました。
…今だったら体罰として問題化してたでしょうね。以後にも「指導」
と称して明らかな暴力を振るう先生が時々出て来るんですが、当時
の私は「子供に人権などナイ」と思ってたので、そのまま放置です。
4年生の担任だった橋本先生には意地の悪い「引っ掛け」をされた
事がありましたね。
まず朝の1時間目から意図的に、教卓から向かって右なら右の
児童にだけ話し掛けるように授業を行います。そうすると昼頃には
左側の子供が飽きてきて、私語や要らん「内職」をし始めます。
…で5時間目にソレを明かし、「あんた達は全然聞いてナイでしょ」
みたいな事で怒られるんですよ。
恐らくは何かの研修会とかで聞き齧ってきたネタを試してみたん
でしょう。児童の立場からすると、そこから何を学べば良いのか?
教師側の単なる「退屈しのぎ」だったのかも知れません。
小学校の6年間を通じて、ずっと同じクラスだった者も何名か居た
んですが、その中で高橋くんと言う男の子と殊に仲良くしていました。
彼も私と同じで兄弟の居ない一人っ子で、鉄道好きと言う共通点
があったんですよね。但し彼の家は裕福な金持ちで、その辺りは
私と少し違ってたんですが。
昭和57年だから4年生の時でしょうが、彼と2人で大阪駅主催の
ミステリー列車に乗りに行った事があります。
…明治7年に京都~大阪の鉄道が開業した際、出発の合図に
使われていた「時の鐘」がドコからか発見され、それを加悦鉄道
に保存されている当時の機関車(旧120型)と再会させてやろうと
言う趣旨だったようです。
大阪から福知山・綾部・西舞鶴経由で丹後山田(当時)まで行き、
まだ現役だった加悦鉄道に乗り換えて終点の加悦(現役時代は
ココに保存車両があった)まで行くと言うルートです。
国鉄部分がキハ181系、加悦鉄道内はキハ10とキハ08の重連
の臨時列車と言う、同社にすれば豪華な物です。
…まだ小学生でしたが、こんなイベントでもナイと「行ってみよう」と
いう発想の出ない所であり、今から考えると貴重な体験でしたよ。
この辺りから段々と、近場の乗り鉄なら親から独立して自分1人や
友達と一緒に出掛けるようになりました。
ちなみに父と1泊で大井川鉄道へ出掛けたのも、この年だったと
思います。その辺りの話は以前に書きましたっけね。
ではまた次回の土曜日に続けます。来年は11歳で小学5年生か。
高学年ともなれば自我も確立されると言うか、色々と自己主張の
強い子供になって行ったような気がします。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
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