長谷③ おまけネタ
2023/02/07(Tue)
では続けて2023年最初の駅ノートとなった、播但線の長谷駅の
3巡目に関する「おまけネタ」を紹介して参りますクラ駅長です。
今回は日帰りですが片道150km程度の所なので、例によって早朝
の暗いうちに奈良県の自宅を出ました。…当日が1月2日と言う事で
世間は正月休みの最中なのでしょう。道路はカナリ空いています。
大阪では阪神高速松原線の工事が続いてて、1区間が止まってる
ために色んなルートでの迂回を強いられるワケですが、今回は最も
単純に長吉長原~喜連瓜破だけ、市街地の一般道を走りました。
大阪市内を抜けて中国池田から中国自動車道に入ります。
…この辺りも普段から、矢鱈とリフレッシュ工事が多いんですよね。
長谷駅に着く直前の所に地域の公民館があり、ココの一角に無人
の観光案内所が併設されています。駐車場は長谷駅のパーク&
ライド用にも開放されており、車はココに置くのがイイでしょう。
…正月早々開いてるのか?と思ったんですが、単にパンフレットと
ポスターがあるだけの所なので大丈夫でした。
前回ココで見た「近くにある歴史上の有名人の腰掛石」に関して、
ソレが誰だか忘れたもんだから、その確認に寄ったんですよ。
…宮本武蔵だったか。隣に「栗村住人下男の腰掛石」と言うのもある
ようです。「栗」と言うのは現在もこの付近の集落名として残ってるん
ですが、案内人か何か?でそっちの方が大きいような気もするぞ。
長谷駅にも昔は駅舎があったようなんですが、現在は解体された
らしく、駅に向かって左側に結構な広さの空き地とコンクリートの
土台だけが残っている空間があります。
コレがWikipediaで検索しても「1990年代後半頃まで」としか分から
ないし、画像も殆ど出てこないんですよ。
…何れにしてもバリアフリーとか発想のナイ時代の事だと思われ、
駅舎の表玄関らしき所からイキナリの階段ですね。当時は地下道
ではなく構内踏切があったらしいのですが。
そしてこの区間で見られる珍車と言えば、キハ47型を無理矢理に
両運転台化したキハ41型でしょう。見ての通り、元は何も無かった
側(右)に無理矢理に運転台を作った感じになっています。
…国鉄時代なら同じ事をしたい場合、オリジナルと同じ形の顔(左)
だけを別に作って(又は別の車両から外して)切り継ぎ加工してた
と思われますが、その予算すら出なかったんでしょうか?
詳しく知りませんが向きは全部揃ってんのかな?
…2両連結にした時、前後に増設運転台側が出たら笑えますね。
今回の昼食は、正月なので本線系統の所は混むだろうと判断し、
帰路の播但自動車道で市川サービスエリアに寄りました。
…画像は豊岡方面行きの車線ですが、地下道で繋がってるので
利用者は上下の双方を使う事が出来ます(こっちの方が広い)。
名物だと言う地鶏の親子丼を頂きましょう。…私には追加で添えて
ある生卵の黄身が余分に感じられるんですが、親子丼ってあまり
選んで食べないから、新鮮な気分で美味かったです。
では続けてまとめファイルのページ的な均衡を取るために、近隣
でドコか行ける所はナイかと考えた結果、京都丹後鉄道宮豊線
のコウノトリの郷に決まりました。
こちらは約2年振りの訪問になります。…日程も次の休みとなる
1月5日に決まったので、続けて報告する事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
3巡目に関する「おまけネタ」を紹介して参りますクラ駅長です。
今回は日帰りですが片道150km程度の所なので、例によって早朝
の暗いうちに奈良県の自宅を出ました。…当日が1月2日と言う事で
世間は正月休みの最中なのでしょう。道路はカナリ空いています。
大阪では阪神高速松原線の工事が続いてて、1区間が止まってる
ために色んなルートでの迂回を強いられるワケですが、今回は最も
単純に長吉長原~喜連瓜破だけ、市街地の一般道を走りました。
大阪市内を抜けて中国池田から中国自動車道に入ります。
…この辺りも普段から、矢鱈とリフレッシュ工事が多いんですよね。
長谷駅に着く直前の所に地域の公民館があり、ココの一角に無人
の観光案内所が併設されています。駐車場は長谷駅のパーク&
ライド用にも開放されており、車はココに置くのがイイでしょう。
…正月早々開いてるのか?と思ったんですが、単にパンフレットと
ポスターがあるだけの所なので大丈夫でした。
前回ココで見た「近くにある歴史上の有名人の腰掛石」に関して、
ソレが誰だか忘れたもんだから、その確認に寄ったんですよ。
…宮本武蔵だったか。隣に「栗村住人下男の腰掛石」と言うのもある
ようです。「栗」と言うのは現在もこの付近の集落名として残ってるん
ですが、案内人か何か?でそっちの方が大きいような気もするぞ。
長谷駅にも昔は駅舎があったようなんですが、現在は解体された
らしく、駅に向かって左側に結構な広さの空き地とコンクリートの
土台だけが残っている空間があります。
コレがWikipediaで検索しても「1990年代後半頃まで」としか分から
ないし、画像も殆ど出てこないんですよ。
…何れにしてもバリアフリーとか発想のナイ時代の事だと思われ、
駅舎の表玄関らしき所からイキナリの階段ですね。当時は地下道
ではなく構内踏切があったらしいのですが。
そしてこの区間で見られる珍車と言えば、キハ47型を無理矢理に
両運転台化したキハ41型でしょう。見ての通り、元は何も無かった
側(右)に無理矢理に運転台を作った感じになっています。
…国鉄時代なら同じ事をしたい場合、オリジナルと同じ形の顔(左)
だけを別に作って(又は別の車両から外して)切り継ぎ加工してた
と思われますが、その予算すら出なかったんでしょうか?
詳しく知りませんが向きは全部揃ってんのかな?
…2両連結にした時、前後に増設運転台側が出たら笑えますね。
今回の昼食は、正月なので本線系統の所は混むだろうと判断し、
帰路の播但自動車道で市川サービスエリアに寄りました。
…画像は豊岡方面行きの車線ですが、地下道で繋がってるので
利用者は上下の双方を使う事が出来ます(こっちの方が広い)。
名物だと言う地鶏の親子丼を頂きましょう。…私には追加で添えて
ある生卵の黄身が余分に感じられるんですが、親子丼ってあまり
選んで食べないから、新鮮な気分で美味かったです。
では続けてまとめファイルのページ的な均衡を取るために、近隣
でドコか行ける所はナイかと考えた結果、京都丹後鉄道宮豊線
のコウノトリの郷に決まりました。
こちらは約2年振りの訪問になります。…日程も次の休みとなる
1月5日に決まったので、続けて報告する事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1409 駅長が見た風景