新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 ⑲

2023/03/18(Sat)

では今週も土曜日になりましたので、恒例の「クラ駅長50年史」
記事を挟む事に致しますクラ駅長です。


今回は1991年平成3年ですね。今回も例によって、同年の出来事
Wikipediaから拾ってみる所から始めましょう。

まず冒頭に「バブル景気終焉失われた10年始まり」と言う事が
太い字で書いてありました。…しかし前年の回にも書きましたが、当時
10代だった私からするとイマイチよく分からない感覚です。

経済的な流れの事までは知りませんが、バカみたいなファッション
踊り狂ってた「ジュリアナ東京」の流行が同年の事であり、
感覚的にはまだまだ浮かれた人たちが多かったように思います。

ただ私は、何度か書いてる事ですが女性のファッション髪型国産
乗用車のデザインJ-POPの曲調などは当時の物が一番好きです。

私が乗るY31系セドリックセダンあのデザインになったのも、同年
事なのですよ。

同年流行語吉本新喜劇に登場するチャーリー浜氏「〇〇じゃ
あ~りませんか!」だそうな。ふーん。

関西人の私にとってはもっと子供の頃から見聞きしてたフレーズで、
今更感半端なかったワケですが、吉本興業「ギャグ100連発」
みたいな映像ソフトを作り、東京(てか全国ネット)でも認知され始めた
のが同年頃の事のようです。

大相撲の横綱だった千代の富士が、通算1045勝と言う記録を出し
つつも、まだ若手だった貴花田(当時)敗れたのを機に引退した
のも同年の事です。

「体力の限界っ!」と言う涙ながらの会見を覚えていますが、対戦
相手だった貴花田(花田光司)私と同じ歳の筈だから、より印象
残ってるのだと思われます。

花田光司氏に関しては同じ歳の男として、宮沢りえより河野景子
(8歳上)選んだ感覚が、当時も今もよく分からないのですが。


続いて同年の鉄道に関するネタですが、岡山県下津井電鉄
同和鉱業片上鉄道廃止されたのが同年の事でした。

両路線とも最近になって廃線跡を自転車で走る旅に出たワケ
ですが、気になっては居たものの受験生と言う立場では自由に
動く事も出来ず現役時代知らないまま終わった物件です。

同年に誕生した鉄道会社に、嵯峨野観光鉄道桃花台新交通
(ピーチライナー)があります。

前者廃線になった山陰本線旧線観光用に残したもので、
現在でも人気のある路線ですが、ピーチライナー約15年短命
に終わってしまいました。

同年大きな鉄道事故としては、信楽高原鉄道正面衝突事故
が挙げられるでしょうか?

出来たばかりの信号場が上手く機能せず単線区間両方向
から列車が進入したのが原因なのですが、現地で行われていた
陶芸祭のイベントに向けて双方の列車とも超満員だった事が、
被害をより大きくしたようです。


さて私は高校3年生1月~2月大学受験だったワケですが、
碌に勉強してナイから複数の学校や学部受験した(詳細失念)
ものの全滅と言う結果になり、4月から予備校に通う事になります。

には経済的負担を掛けてしまいますが、当時は景気がよく
我が家も金回りが良かったようで、ソレについては何も言われ
ませんでした。

予備校大阪にある大手チェーンの所へ行きました。こちらも
景気のいい時期新設校として開校したばかりの所だったので、
校舎もカネの掛かったお洒落な物だった覚えがありますね。

…通常なら予備校も「学校」の一種だから鉄道通学定期券
乗れるワケですが、開校したばかりでまだ学校としての認可
下りておらず通学定期買えない状況だったんですよ。

しかし「その差額に関する補助」予備校から出ていました。
…こんなのは景気が悪い一番にカットされる所かも知れません。

入学した初日、講義の合間に黒板を消したり印刷物の配布などを
手伝うクラス委員のような物を決める事になり、誰も手を挙げない
から立候補して、そのまま当選しました。

このクラス委員ボランティアではなく1日200円と言う薄給
ながら日当が出るんですよ。ちゃんとタイムカードもありましたな。
…コレまた景気が良かったが故の恩恵かも知れません。

予備校ココしか行ってないので他所がどんな雰囲気か知らない
んですが、勉強の合い間遠足日本史の勉強と称した明日香村
でのオリエンテーリング)や球技大会などもあって、割と明るい
雰囲気だったのを覚えています。

未成年の飲酒に関してもユルい時代だったから、クラスでの
飲み会なんかも複数回ありました。


そして同年の7月、それまで住んでた古い家から現在の実家
引っ越す事になります。

詳しくは「実家移住計画」最初の頃に書いたと思うんですが、
田舎の古い家権利関係が複雑だったので、両親(主に母親)
ソノ辺を整理して「うちは出ていく、後は知らん。」となったんですよ。

同じ集落内にある我が家の田んぼ新しい家を建てるので、元の
住所から直線距離で200m程度の所です。

詳しい事は私には分かりませんが、取り敢えず家が新しくなるから
トイレは水洗になるし、部屋は限られるもののエアコンが装備される
から現状よりは快適に暮らせるワケで、嬉しい事ではありました。

…この時点で当然に新築だったですが、以後何のメンテナンス
もしないまま約35年が経過し、現在私がその後始末と言うか各種
の更新工事手を焼いてるのが、一連の「実家移住計画」の報告
と言う事になります。


高校までの同学年は、順当に行けば大学に進学してるか社会に出て
働いてるワケですよね。

…こっちは浪人生だから、地元の顔見知り仕事アルバイトも含む)
してたり自動車学校の教習車に乗ってるのを見たりすると、些かの
引け目を感じる事はありましたが、予備校生活と言うのもソレほど
悲惨な物でもなく、何となく充実した1年だったようにも思います。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.1448 ○○について考える