法華口⑤・網引⑤ おまけネタ
2023/05/02(Tue)
では北条鉄道の駅ノートの5巡目の最後として、法華口~網引に
関する「おまけネタ」を紹介しておきますクラ駅長です。
まず法華口に2年ほど前に出来た交換設備ですが、今回初めて
キハ40型を絡めて撮る事が出来ました。
先述のようにココは通常の左側通行とは逆に列車が通るので、
北条町行きは従来のホームに近い線路を通らず、交換設備の
向こう側に着きます。
交換設備が出来たとは言っても常にココで列車が交換するほど
密なダイヤではなく、日中は上下方向が順に来る感じですね。
ちなみに同社のホームページで貸切列車について調べてみたん
ですが、やはり従来通りに定期列車に増結して走らせるのが
基本のようでした。
…キハ40型は在来車と連結しての運転が出来ないようで、コレを
選ぶと別にダイヤを設定する事になり、割増料金になるようです。
続いてが網引です。ココは棒線構造の駅ですが、駅の粟生方向が
カーブになっており、桜や菜の花がキレイだったので1枚。
…そのままズームを引いてもぅ1枚撮れました。
そして網引の待合室にあった簡単なクイズです。ボランティア駅長
の妻木氏が考えた物だと言う事で、2枚あって表が問題、裏が解答
になってるんですが…
① 「網引」と言う駅名はアルファベットで書くと日本で一番前?
② 隣の「粟生」はアルファベットで書くと日本一短かい?
…正解は①がNo、②がYesだそうな。
①の「一番前」は北海道の「網走」なのと、②は2文字表記ですが
同じく2文字の駅が他にも存在すると言う注釈が付いています。
①に関して妻木氏が網走駅の駅員さんに訊ねたら「え、そうなん
ですか?」と全く意識してなかったそうな。そして②に山陰本線の
「飯井」が含まれてるのは、駅ノートを描いてれば知る知識ですね。
網引を描き終えたら列車で北条町まで戻るんですが、時間があった
ので、隣の田原まで歩く事にしました。…1km少しの距離です。
途中の線路沿いに、昭和20年の列車事故に関する慰霊碑が新しく
作られたと言うのを知って、見に行く事にしたんです。
…近くにあった鶉野飛行場へ着陸しようとしてた戦闘機が北条線の
線路を引っ掛けてしまい、軌道が狂った所へ直後に通った列車が
脱線転覆、乗客などに多数の犠牲者が出たと言うものです。
戦時中の事なので事故そのものが軍部によって隠蔽され、犠牲者
の霊も浮かばれなかったと言う事なのかも知れません。
以前から駅前に事故の様子を記した看板がありますが、ココが実際
の事故現場だと言う事になるのかな?
…現代では起こり得ない&秘密にもされない話かも知れませんが。
ともあれ慰霊碑を見学して、田原駅まで歩いてきました。
…同線の途中駅の中でココだけ、駅舎や待合室が建物として存在
せず、駅ノートも設置されてません(過去に私的な物が置かれた
事はあります)。ソレを確認に来たんですよ。
やはり復活はしてませんでした。てか急に出てきても困るけど。
北条鉄道は設置駅の間隔が短かいので、1日3駅のペースで日帰り
を2回に分けて5巡目を回る事が出来ました。
家の作業の合間、暫くこの程度のペースでの駅ノート廻りが続く
感じになると思われますので、適当にお楽しみに。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
関する「おまけネタ」を紹介しておきますクラ駅長です。
まず法華口に2年ほど前に出来た交換設備ですが、今回初めて
キハ40型を絡めて撮る事が出来ました。
先述のようにココは通常の左側通行とは逆に列車が通るので、
北条町行きは従来のホームに近い線路を通らず、交換設備の
向こう側に着きます。
交換設備が出来たとは言っても常にココで列車が交換するほど
密なダイヤではなく、日中は上下方向が順に来る感じですね。
ちなみに同社のホームページで貸切列車について調べてみたん
ですが、やはり従来通りに定期列車に増結して走らせるのが
基本のようでした。
…キハ40型は在来車と連結しての運転が出来ないようで、コレを
選ぶと別にダイヤを設定する事になり、割増料金になるようです。
続いてが網引です。ココは棒線構造の駅ですが、駅の粟生方向が
カーブになっており、桜や菜の花がキレイだったので1枚。
…そのままズームを引いてもぅ1枚撮れました。
そして網引の待合室にあった簡単なクイズです。ボランティア駅長
の妻木氏が考えた物だと言う事で、2枚あって表が問題、裏が解答
になってるんですが…
① 「網引」と言う駅名はアルファベットで書くと日本で一番前?
② 隣の「粟生」はアルファベットで書くと日本一短かい?
…正解は①がNo、②がYesだそうな。
①の「一番前」は北海道の「網走」なのと、②は2文字表記ですが
同じく2文字の駅が他にも存在すると言う注釈が付いています。
①に関して妻木氏が網走駅の駅員さんに訊ねたら「え、そうなん
ですか?」と全く意識してなかったそうな。そして②に山陰本線の
「飯井」が含まれてるのは、駅ノートを描いてれば知る知識ですね。
網引を描き終えたら列車で北条町まで戻るんですが、時間があった
ので、隣の田原まで歩く事にしました。…1km少しの距離です。
途中の線路沿いに、昭和20年の列車事故に関する慰霊碑が新しく
作られたと言うのを知って、見に行く事にしたんです。
…近くにあった鶉野飛行場へ着陸しようとしてた戦闘機が北条線の
線路を引っ掛けてしまい、軌道が狂った所へ直後に通った列車が
脱線転覆、乗客などに多数の犠牲者が出たと言うものです。
戦時中の事なので事故そのものが軍部によって隠蔽され、犠牲者
の霊も浮かばれなかったと言う事なのかも知れません。
以前から駅前に事故の様子を記した看板がありますが、ココが実際
の事故現場だと言う事になるのかな?
…現代では起こり得ない&秘密にもされない話かも知れませんが。
ともあれ慰霊碑を見学して、田原駅まで歩いてきました。
…同線の途中駅の中でココだけ、駅舎や待合室が建物として存在
せず、駅ノートも設置されてません(過去に私的な物が置かれた
事はあります)。ソレを確認に来たんですよ。
やはり復活はしてませんでした。てか急に出てきても困るけど。
北条鉄道は設置駅の間隔が短かいので、1日3駅のペースで日帰り
を2回に分けて5巡目を回る事が出来ました。
家の作業の合間、暫くこの程度のペースでの駅ノート廻りが続く
感じになると思われますので、適当にお楽しみに。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1493 駅長が見た風景