クラ駅長50年史 ㉗
2023/05/13(Sat)
ではココで、土曜日恒例の「クラ駅長50年史」の記事を挟む事に
致しますクラ駅長です。今回は1999年…平成11年ですね。
今回もWikipediaから、当時の世相と鉄道関係の出来事を拾って
みる所から始めましょう。
まず覚えてるのは携帯電話の番号が11桁になった事ですか。
コレが同年の1月1日の午前2時からなのですが、コンビニの各
店舗に「メモリー内の番号を11桁に書き換える機械」が設置され、
私も2時30分頃に先に何人か並んでる状態で作業を行いました。
コレが地元ではなく、旅先での事だったからよく覚えてるんです。
…石川県の能登金剛に近い所のファミリーマートでした。
就職した会社が飲食店だから年末年始の休みなんか皆無だった
筈なんですが、この年は何故か休みが取れたので、何の予定も
なく車で旅に出たんです。コレに関しては後で詳しく述べます。
Wikipediaの同年のページを読んでると、光市母子殺人事件とか
桶川ストーカー殺人事件とか、後の社会にも影響の出る悲惨な
事件が相次いだ年でもあったようです。
また「非正規雇用者が増加し始めた」ともありますね。
…不況だの世紀末だのと、気分的に暗くなりそうな世の中だった
のかも知れません。そう煽ったのはマスコミなんでしょうが。
同年の鉄道の話題では、東海道新幹線で700系のぞみが運用
を始め、代わりに初代の0系が引退した年のようです。
0系って、自分の感覚ではカナリ長い事走ってたようなイメージが
ありますが、東海道新幹線の開通が1964年だから35年間?
…実際には「○次車」と言う感じで代替わりしています。
ちなみに山陽新幹線では、2008年まで残る事になります。
他に「山形新幹線が新庄まで延伸」とか「北斗星を臨時化して
カシオペアが登場」とか書いてありますね。
第三セクター会社としては岡山県の井原鉄道が新規開業して
います。コレは一部に、元々あった井笠鉄道と言う軽便鉄道の
路盤跡を再利用してるので私も興味があった所です。
細かい所では阪和線~紀勢本線に「きのくにシーサイド」と言う
ジョイフルトレインが登場しています。同年に行われた「南紀熊野
体験博」と言うイベントに伴う物だったようです。
…コレは種別としては快速列車なので、当時乗った人の話によると
「阪和線内で矢鱈と特急に抜かれて遅かった」そうな。
Nゲージとしてトミックスから商品化されてますが、ちょっと高い
んですよね。暫く間を置いての導入を検討しています。
さて私は、前年から京都にあるホテル内の店舗に勤務してたワケ
ですが、やはり早朝や深夜に車で通勤すると言う事に無理が
生じておりました。
…「居眠りで赤信号に突っ込んでしまう」と言う危険な状況が
何度かあり、事故には至らなかったものの「コレはヤバい」
と言う事で、電車で通える所へ引っ越す事にしました。
その結果、奈良市内の昔からの下町みたいな所のワンルーム
マンションになります。JRと近鉄の双方の奈良駅に徒歩で
出れるエリアであり、コレで大丈夫!と思ったらまた転勤です。
…この「行き当たりばったりな人事」が大嫌いだったんですが、
次の職場は枚方市内のショッピングモールにある店舗です。
ホテルじゃないから時間的には楽ですが、奈良~枚方と言う通勤
ルートは大阪を回っても京都を回っても遠い。
暫くは京都(丹波橋)経由で電車通勤してましたが、帰路の接続
が悪く、結局は山を越えて車で行く方法に戻ってしまいました。
この店舗と言うのがまた、全くやる気の起こらない所で困った
と言うか。矢鱈と原価率が高くて営業成績が悪いんです。
ランチタイムはパスタ1皿(複数種から選べる)にサラダバー
がついたメニュー1択なんですが、ショッピングモールだから
矢鱈と暇そうな主婦が多いんです。確か税込みで840円です。
とにかくサラダバーとデザートで長時間居座って喋りまくってる
もんだから、回転が物凄く悪いんですわ。…結果、通常なら30%
前後である原価率が、ココでは60%を越えてました。
…毎日長蛇の列になるほど客が来て、従業員は忙しくて走り
回ってるのに赤字とか、どう考えても変な話ですよね。
このショッピングモール自体が正月3ヶ日は全店休業になるので、
大晦日の営業が終わってから旅に出たんだったと思います。
当時は車に乗る方が面白かったし、インターネットでホテルを
予約すると言う方法もソレほど普及してなかったと思われ、何の
予定も立てないまま旅に出る事が時々ありました。
でコレまた何となく「能登半島を一周してみよう」と言う事になり、
冒頭の携帯電話の番号変更の話に繋がるんですよ。
当時ののと鉄道は七尾線が輪島まで、能登線が蛸島までの全線
が全て現役だったんですが、特に興味は無かったので時々駅に
寄る程度だったのを覚えています。
正月なので田舎では開いてるガソリンスタンドが少なく、燃料切れ
を起こしそうになりましたが、カナリ僻地なのに1軒だけ、個人営業
みたいなお店が開いてました。
ちなみに当時乗ってた日産キャラバンはディーゼル車です。
後でT先輩に話すと「ああいう店は休日でも何kmか置きに開けて
おく決まりになってる」との事でした。ホントなんですかね?
当日は和倉温泉の観光案内所で空いてるホテルを教えて貰い、
飛び込みで泊まりました。…正月料金で結構高かったですが。
この時の職場は環境(仕事内容や人間関係など)はソレほど悪く
なかったものの、原価率の点だけは釈然としない所でした。
…事実、その後数年で潰れてしまうんですが。
また新しく住んだ奈良の部屋も割と便利でいい環境にあり、以後
結婚直前までココに住み続ける事になります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
致しますクラ駅長です。今回は1999年…平成11年ですね。
今回もWikipediaから、当時の世相と鉄道関係の出来事を拾って
みる所から始めましょう。
まず覚えてるのは携帯電話の番号が11桁になった事ですか。
コレが同年の1月1日の午前2時からなのですが、コンビニの各
店舗に「メモリー内の番号を11桁に書き換える機械」が設置され、
私も2時30分頃に先に何人か並んでる状態で作業を行いました。
コレが地元ではなく、旅先での事だったからよく覚えてるんです。
…石川県の能登金剛に近い所のファミリーマートでした。
就職した会社が飲食店だから年末年始の休みなんか皆無だった
筈なんですが、この年は何故か休みが取れたので、何の予定も
なく車で旅に出たんです。コレに関しては後で詳しく述べます。
Wikipediaの同年のページを読んでると、光市母子殺人事件とか
桶川ストーカー殺人事件とか、後の社会にも影響の出る悲惨な
事件が相次いだ年でもあったようです。
また「非正規雇用者が増加し始めた」ともありますね。
…不況だの世紀末だのと、気分的に暗くなりそうな世の中だった
のかも知れません。そう煽ったのはマスコミなんでしょうが。
同年の鉄道の話題では、東海道新幹線で700系のぞみが運用
を始め、代わりに初代の0系が引退した年のようです。
0系って、自分の感覚ではカナリ長い事走ってたようなイメージが
ありますが、東海道新幹線の開通が1964年だから35年間?
…実際には「○次車」と言う感じで代替わりしています。
ちなみに山陽新幹線では、2008年まで残る事になります。
他に「山形新幹線が新庄まで延伸」とか「北斗星を臨時化して
カシオペアが登場」とか書いてありますね。
第三セクター会社としては岡山県の井原鉄道が新規開業して
います。コレは一部に、元々あった井笠鉄道と言う軽便鉄道の
路盤跡を再利用してるので私も興味があった所です。
細かい所では阪和線~紀勢本線に「きのくにシーサイド」と言う
ジョイフルトレインが登場しています。同年に行われた「南紀熊野
体験博」と言うイベントに伴う物だったようです。
…コレは種別としては快速列車なので、当時乗った人の話によると
「阪和線内で矢鱈と特急に抜かれて遅かった」そうな。
Nゲージとしてトミックスから商品化されてますが、ちょっと高い
んですよね。暫く間を置いての導入を検討しています。
さて私は、前年から京都にあるホテル内の店舗に勤務してたワケ
ですが、やはり早朝や深夜に車で通勤すると言う事に無理が
生じておりました。
…「居眠りで赤信号に突っ込んでしまう」と言う危険な状況が
何度かあり、事故には至らなかったものの「コレはヤバい」
と言う事で、電車で通える所へ引っ越す事にしました。
その結果、奈良市内の昔からの下町みたいな所のワンルーム
マンションになります。JRと近鉄の双方の奈良駅に徒歩で
出れるエリアであり、コレで大丈夫!と思ったらまた転勤です。
…この「行き当たりばったりな人事」が大嫌いだったんですが、
次の職場は枚方市内のショッピングモールにある店舗です。
ホテルじゃないから時間的には楽ですが、奈良~枚方と言う通勤
ルートは大阪を回っても京都を回っても遠い。
暫くは京都(丹波橋)経由で電車通勤してましたが、帰路の接続
が悪く、結局は山を越えて車で行く方法に戻ってしまいました。
この店舗と言うのがまた、全くやる気の起こらない所で困った
と言うか。矢鱈と原価率が高くて営業成績が悪いんです。
ランチタイムはパスタ1皿(複数種から選べる)にサラダバー
がついたメニュー1択なんですが、ショッピングモールだから
矢鱈と暇そうな主婦が多いんです。確か税込みで840円です。
とにかくサラダバーとデザートで長時間居座って喋りまくってる
もんだから、回転が物凄く悪いんですわ。…結果、通常なら30%
前後である原価率が、ココでは60%を越えてました。
…毎日長蛇の列になるほど客が来て、従業員は忙しくて走り
回ってるのに赤字とか、どう考えても変な話ですよね。
このショッピングモール自体が正月3ヶ日は全店休業になるので、
大晦日の営業が終わってから旅に出たんだったと思います。
当時は車に乗る方が面白かったし、インターネットでホテルを
予約すると言う方法もソレほど普及してなかったと思われ、何の
予定も立てないまま旅に出る事が時々ありました。
でコレまた何となく「能登半島を一周してみよう」と言う事になり、
冒頭の携帯電話の番号変更の話に繋がるんですよ。
当時ののと鉄道は七尾線が輪島まで、能登線が蛸島までの全線
が全て現役だったんですが、特に興味は無かったので時々駅に
寄る程度だったのを覚えています。
正月なので田舎では開いてるガソリンスタンドが少なく、燃料切れ
を起こしそうになりましたが、カナリ僻地なのに1軒だけ、個人営業
みたいなお店が開いてました。
ちなみに当時乗ってた日産キャラバンはディーゼル車です。
後でT先輩に話すと「ああいう店は休日でも何kmか置きに開けて
おく決まりになってる」との事でした。ホントなんですかね?
当日は和倉温泉の観光案内所で空いてるホテルを教えて貰い、
飛び込みで泊まりました。…正月料金で結構高かったですが。
この時の職場は環境(仕事内容や人間関係など)はソレほど悪く
なかったものの、原価率の点だけは釈然としない所でした。
…事実、その後数年で潰れてしまうんですが。
また新しく住んだ奈良の部屋も割と便利でいい環境にあり、以後
結婚直前までココに住み続ける事になります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1504 ○○について考える