クラ駅長50年史 ㊶
2023/08/19(Sat)
では今週も土曜日になりましたので「クラ駅長50年史」の記事を
入れる事に致しますクラ駅長です。
…今回で41回目ですか。連続して毎週書くスタイルが終わるまで
あと10回と言う事になりましたね。何だカンだとココまで来たワケ
ですが、有名人でもナイ一個人の人生でも、こうやって振り返ると
色々な事があったのだと再確認出来ました。
今回は2013年…平成25年ですか。当然の事に「10年前」であり、
色々な出来事も「記憶に新しい」感じになって来ました。
まず同年に放送されたNHKの朝ドラ「あまちゃん」が意外なヒット
となり、舞台になった三陸地方の方言で驚いた時の感嘆詞だと言う
「じぇじぇじぇ!」が流行語の1つになったようです。
…まぁ当時の東北地方は、2年前に発生した東日本大震災からの
復興が進んでた頃でもあり、注目度が高かったのでしょう。
私は例によってテレビを全く見ないので、海女さんを目指してた
筈の女子高生が、途中から何故アイドル歌手になったのかがよく
分かりませんでしたが。
あと覚えてるのが、日本に導入されたばかりのボーイング787型
と言う旅客機に電気系統の欠陥が見つかり、改善されるまで使用
停止の措置が為されたと言う話でしょうか?
…初期の機体は機首に近い部分に大きな文字で「787」と言うロゴ
が入ってたから、ニュース素材を何でもパロディネタにしてしまう
「虚構新聞」と言うサイトでは、「787のロゴを737に書き換えて対応
する」とか書かれてました。
そして同年7月28日、山口県~島根県にかけての地域で記録的
な豪雨となり、同地域の随所で道路や鉄道が寸断される被害が
出ています。
続く8月にも北海道から東北の広範囲で豪雨災害があり、花輪線
などが長期間に渡って不通となりました。
…そんな感じで鉄道関係の出来事に関しては、カナリの件数で災害
による不通と運転再開の記事が載っています。
当時は私も段々と「全国の乗り潰し」を意識して各地へ出掛けてた
ので、不通区間に当たると行路の変更も付いて回ると言う状況
だったのを覚えています(山口線や三江線など)。
東日本大震災で被害を受けた大船渡線が鉄道での復旧を断念
し、BRT(バス高速輸送システム)と言うバス専用道路として再開
したのも同年の事ですね。
コレは鉄道では無くなったものの、周囲の路線の乗り潰しに併せて
乗る機会がありました。
…車内放送が断じて「このバスは…」と言う表現を使わず、「車」
「BRT」だった事をよく覚えています。だって違和感ありますから。
明るいネタとしては、近鉄の50000系「しまかぜ」のデビュー
とか、名古屋のあおなみ線で試験的にSL列車を走らせたとか
でしょうか?
…後者は結局、撮り鉄が大騒ぎしただけで後の展開は無かった
ように思いますが。
さて私は前々年~前年にかけて、離婚して転職して、木村鉄道と
言う新たな趣味の場に参加するようになって…と言う40歳前後に
してカナリの激動期を過ぎ、その何れもが段々と落ち着いてきた
時期だった頃でしょうか。
転職してまず感じたのが「自分のペースで仕事が出来る」と言う
気楽さですね。
…給料は売上額の歩合による所が大きいので、手を抜けば減る
けど頑張れば増えると言う、非常に分かりやすい仕組みです。
休憩時間も概ね自由に取れるし、誰かがサボっててしわ寄せ
(捌く仕事の量)が増えても、すぐ給料に反映されるから不公平
がありません。
またタクシーと言うのはどぅ頑張っても1件ずつしか処理出来ない
から、実車中に手を挙げてる客が居ても無視して構いません。
飲食店のホールのように「こっちも聞いて!」みたいな事がない。
そして役職のない「ヒラ社員」からの再スタートなので、責任も
ソレほど重くなければ休みもある程度自由に取れるし、出てきた
時に休んだ分の仕事が溜まってると言う事もありません。
人間関係に関しては、ソレまでの私は上司と部下(アルバイト)の
間に挟まった1人だけの社員と言う立場な事が多く「同僚」と言う
存在の仲間が居なかったんですよ。
だから経験年数の差はあっても同じ立場の「同僚」が存在する事
で、面白かった経験や愚痴も同じ目線で話せる仲間が居ます。
コレは大きな差ですよ。
…仕事が終わっても事務所で無駄話をしてて遅くなるとか、ソレ
まで殆どなかった事に自分でも驚きましたね。
そんな感じで休みは比較的自由になるから、木村イベントにも
積極的に参加する事になります。同年の社員旅行は岐阜県の
養老鉄道と長良川鉄道、秋の貸切列車は「宴」でしたか。
…社長(木村)は同年頃から猫(のろ)を飼い始め、8月に青春18
きっぷを使った日本縦断を行い、JRの全線完乗を達成しました。
社員全体に向けて「可能なら付き合って欲しい。けど途中では放置
してくれ。」と言う些か身勝手な指令が出ており、私は枕崎~八代
と大舘~稚内で同行する事になりました。
…当時は私も乗り潰しをやってたから、指宿枕崎線や宗谷本線は
もっと後に回して、達成感を盛り上げたかった所ですが。
色々と衝突もあったけど、当時が一番楽しかったように思います。
今でも使ってるPCの壁紙やスマートフォンの待ち受け画面は概ね
同年頃の物だし、容姿としても当時ぐらいの「丸さ」がベストかなと。
手前味噌ながら「1人のファン以上の好意」が確実にあったような?
「秘話」的な話は機会があれば限定公開で書く事にしましょう。
仕事の話も色々とあるんですが、転勤がナイから意外と単調で、
前後関係の記憶が曖昧になってたりもします。…次回はソノ辺も、
可能な限り思い出して書いてみる事にしましょうか。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
入れる事に致しますクラ駅長です。
…今回で41回目ですか。連続して毎週書くスタイルが終わるまで
あと10回と言う事になりましたね。何だカンだとココまで来たワケ
ですが、有名人でもナイ一個人の人生でも、こうやって振り返ると
色々な事があったのだと再確認出来ました。
今回は2013年…平成25年ですか。当然の事に「10年前」であり、
色々な出来事も「記憶に新しい」感じになって来ました。
まず同年に放送されたNHKの朝ドラ「あまちゃん」が意外なヒット
となり、舞台になった三陸地方の方言で驚いた時の感嘆詞だと言う
「じぇじぇじぇ!」が流行語の1つになったようです。
…まぁ当時の東北地方は、2年前に発生した東日本大震災からの
復興が進んでた頃でもあり、注目度が高かったのでしょう。
私は例によってテレビを全く見ないので、海女さんを目指してた
筈の女子高生が、途中から何故アイドル歌手になったのかがよく
分かりませんでしたが。
あと覚えてるのが、日本に導入されたばかりのボーイング787型
と言う旅客機に電気系統の欠陥が見つかり、改善されるまで使用
停止の措置が為されたと言う話でしょうか?
…初期の機体は機首に近い部分に大きな文字で「787」と言うロゴ
が入ってたから、ニュース素材を何でもパロディネタにしてしまう
「虚構新聞」と言うサイトでは、「787のロゴを737に書き換えて対応
する」とか書かれてました。
そして同年7月28日、山口県~島根県にかけての地域で記録的
な豪雨となり、同地域の随所で道路や鉄道が寸断される被害が
出ています。
続く8月にも北海道から東北の広範囲で豪雨災害があり、花輪線
などが長期間に渡って不通となりました。
…そんな感じで鉄道関係の出来事に関しては、カナリの件数で災害
による不通と運転再開の記事が載っています。
当時は私も段々と「全国の乗り潰し」を意識して各地へ出掛けてた
ので、不通区間に当たると行路の変更も付いて回ると言う状況
だったのを覚えています(山口線や三江線など)。
東日本大震災で被害を受けた大船渡線が鉄道での復旧を断念
し、BRT(バス高速輸送システム)と言うバス専用道路として再開
したのも同年の事ですね。
コレは鉄道では無くなったものの、周囲の路線の乗り潰しに併せて
乗る機会がありました。
…車内放送が断じて「このバスは…」と言う表現を使わず、「車」
「BRT」だった事をよく覚えています。だって違和感ありますから。
明るいネタとしては、近鉄の50000系「しまかぜ」のデビュー
とか、名古屋のあおなみ線で試験的にSL列車を走らせたとか
でしょうか?
…後者は結局、撮り鉄が大騒ぎしただけで後の展開は無かった
ように思いますが。
さて私は前々年~前年にかけて、離婚して転職して、木村鉄道と
言う新たな趣味の場に参加するようになって…と言う40歳前後に
してカナリの激動期を過ぎ、その何れもが段々と落ち着いてきた
時期だった頃でしょうか。
転職してまず感じたのが「自分のペースで仕事が出来る」と言う
気楽さですね。
…給料は売上額の歩合による所が大きいので、手を抜けば減る
けど頑張れば増えると言う、非常に分かりやすい仕組みです。
休憩時間も概ね自由に取れるし、誰かがサボっててしわ寄せ
(捌く仕事の量)が増えても、すぐ給料に反映されるから不公平
がありません。
またタクシーと言うのはどぅ頑張っても1件ずつしか処理出来ない
から、実車中に手を挙げてる客が居ても無視して構いません。
飲食店のホールのように「こっちも聞いて!」みたいな事がない。
そして役職のない「ヒラ社員」からの再スタートなので、責任も
ソレほど重くなければ休みもある程度自由に取れるし、出てきた
時に休んだ分の仕事が溜まってると言う事もありません。
人間関係に関しては、ソレまでの私は上司と部下(アルバイト)の
間に挟まった1人だけの社員と言う立場な事が多く「同僚」と言う
存在の仲間が居なかったんですよ。
だから経験年数の差はあっても同じ立場の「同僚」が存在する事
で、面白かった経験や愚痴も同じ目線で話せる仲間が居ます。
コレは大きな差ですよ。
…仕事が終わっても事務所で無駄話をしてて遅くなるとか、ソレ
まで殆どなかった事に自分でも驚きましたね。
そんな感じで休みは比較的自由になるから、木村イベントにも
積極的に参加する事になります。同年の社員旅行は岐阜県の
養老鉄道と長良川鉄道、秋の貸切列車は「宴」でしたか。
…社長(木村)は同年頃から猫(のろ)を飼い始め、8月に青春18
きっぷを使った日本縦断を行い、JRの全線完乗を達成しました。
社員全体に向けて「可能なら付き合って欲しい。けど途中では放置
してくれ。」と言う些か身勝手な指令が出ており、私は枕崎~八代
と大舘~稚内で同行する事になりました。
…当時は私も乗り潰しをやってたから、指宿枕崎線や宗谷本線は
もっと後に回して、達成感を盛り上げたかった所ですが。
色々と衝突もあったけど、当時が一番楽しかったように思います。
今でも使ってるPCの壁紙やスマートフォンの待ち受け画面は概ね
同年頃の物だし、容姿としても当時ぐらいの「丸さ」がベストかなと。
手前味噌ながら「1人のファン以上の好意」が確実にあったような?
「秘話」的な話は機会があれば限定公開で書く事にしましょう。
仕事の話も色々とあるんですが、転勤がナイから意外と単調で、
前後関係の記憶が曖昧になってたりもします。…次回はソノ辺も、
可能な限り思い出して書いてみる事にしましょうか。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
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