趣味に関する秘話 ①
2023/09/17(Sun)
ココまで色々と書いてきた「クラ駅長50年史」ですが、趣味関係の
変遷について軽く流しただけだったような気がするので、幾つかの
ジャンルに関して、私なりの考え方や当時の人間関係について
細かく述べてみたいと思いますクラ駅長です。
過去の記事に何を書いたのか、自分でも忘れてる場合が多くあり、
繰り返しの内容になるかも知れませんが、軽い総集編だと思って
頂ければ幸いです。
…場合によっては限定公開にするかも知れませんが、取り敢えず
当たり障りの無さそうな所からいってみましょう。
① 写真
今も昔も、鉄道趣味からカメラに入っていく人と言うのが一定数
居ると思われます。私もソノ1人ですが、時代的に1980年代後半が
中学生~高校生だったので、国鉄の分割民営化やソノ後に来る
バブル景気と被るんですよ。
…当時の撮り鉄のメインは、やはりジョイフルトレインでしょう。
余り気味の12系や14系が主体であり、JRの各支社で個性豊かな
車両が多くありました。しかし私はあまりソレには興味が無かった
と言うか…数が多すぎて追い切れなくなったように思います。
また当時は今のようなインターネットやSNSが無かったからあまり
知られてナイだけですが、その頃から撮り鉄のマナーと言うのは
あまり良いものでは無く、駅などでの罵声や他人を押し退けて場所
を確保するような行儀の悪い輩が存在しました。
…そう言う所に辟易としたと言うか、私は鉄道を撮るにしても、駅の
風景や乗務員さんを絡めて「人が写ってる構図」の方向に行きます。
で高校から大学と写真部に在籍し、色々と撮ったワケですが…
高校は設備もソレほど充実しておらず、技術的な事も全体的に拙い
物だったと思われますが、大学で一気にクオリティーが上がったと
言うか、高度な事を求められて戸惑いました。
…まぁ何事も上を目指すのはイイ事なんですが、先輩と言うかOBの
口出しが厄介で困ったんですよ。
部の行事として年に何度か写真展をやるワケですが、OBが顔を
出すのはイイとして、矢鱈と酷評されるのが嫌でしたね。
…それも撮り方や焼き方の技術面の話ではなく「こんな作風は若者
らしくない」みたいな単なるそいつの主観だったり、私のように駅の
風景ばかり撮ってると「内容が片寄りすぎてる」とか。
人によって好きな被写体や、撮りたいジャンルは自ずと固定化され
て行くと思うし、「こいつは鉄道が好きなんだな」で済ませればイイ
と思うんですけどね。
今でも旅先などでは主に記録として撮る事は多いです。しかし肖像
権とか個人情報にウルサい時代になったので、無許可でその辺の
乗客を勝手に撮るとか出来ない状況になってしまいました。
…でココまでデジタル写真が普及すると、昔みたいな暗室作業
などもナシで済む時代になりました。
何れも卒業以来殆ど関わってませんが、どうなったんでしょうね?
完全な偏見ですが何となく、当時のOB(現在の歳で60前後)がまだ
口出ししてそうなイメージがあるわ。
② 車(Y31系セドリック)
この話は初めてだと思います。今まで何台か乗り換えた自家用車
のうち最も愛着があり、今年で車齢17年になっても伊藤かずえさん
のシーマなみのレストアを自費で行って乗り続けてるワケですが。
変わった車だと言う自覚はあるから、やはり当時は「同じ車種の
他のユーザーはどの程度居て、日々のメンテナンスとかどぅしてる
んだろう?」とか気になるもんです。
…当時(2006年)だとインターネットはあれどTwitterはまだ普及
しておらず(奇しくも同年からサービスが始まってる)、今より若干
の不自由がありました。
またブログと言う物も黎明期だった筈であり、「○○さんの部屋」
みたいな個人サイトの方が主流だったように覚えています。
だから「Y31」系とかで個別に探して、ソコに付属している掲示板に
書き込むのが一般的な連絡の取り方でしょう。
そんな事で関西でも何人かのユーザーが居る事を知り、掲示板
を通じての遣り取りを始めたんですよ。その人たちは当然に、時々
実際に集まって車を並べて語り合うオフ会もやってたようです。
…話は脱線しますが、名古屋にあるオートバックスのある店舗で、
車関係のオフ会に協力的な所があり、予約すれば駐車場の一角
をソレ用に占有させてくれる所があったりしたようです。
しかしその手のオフ会と言うのは、当然に土日祝で開催される事
が多い(と言うか全部)。観光地の飲食店に勤務してた私にすると
滅多に参加出来ず、後の報告を羨ましく見るだけになってました。
一度だけ無理矢理に、夜になってから途中参加で行った事があり
ました。基本的には新参者の私にも親切に対応して貰え、その日
は楽しく過ごす事が出来たんですが…
その後メンバーの人たちは「みんな個々に連絡を取り合える状況
にあるから」と言う理由でホームページを閉じてしまい、新入りの
私は置き去りを食らってしまうんですよ。
…意図的に私が除け者にされたワケではなく、実際にソノ理由で
私は単に忘れられてただけだと思いますが、何か寂しい話です。
Y31系には以後もずっと乗ってますが、車の趣味に関して誰かと
繋がる事は無くなってしまいました。話し掛けられるのは駐車場
のオッサンの「懐かしいねー」みたいな世間話だけです。
…時代は流れてますから、今はY31系の絶対数も減ってるでしょう。
今なら日程的な自由も利きそうだから、集まりがあれば参加出来る
とは思うんですが、自分から発信するのはガラじゃありません。
なかなか難しいものがありますね。
そんな感じで次回以降も、年代を追って他の趣味に関しても色々と
思い出してみる事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
変遷について軽く流しただけだったような気がするので、幾つかの
ジャンルに関して、私なりの考え方や当時の人間関係について
細かく述べてみたいと思いますクラ駅長です。
過去の記事に何を書いたのか、自分でも忘れてる場合が多くあり、
繰り返しの内容になるかも知れませんが、軽い総集編だと思って
頂ければ幸いです。
…場合によっては限定公開にするかも知れませんが、取り敢えず
当たり障りの無さそうな所からいってみましょう。
① 写真
今も昔も、鉄道趣味からカメラに入っていく人と言うのが一定数
居ると思われます。私もソノ1人ですが、時代的に1980年代後半が
中学生~高校生だったので、国鉄の分割民営化やソノ後に来る
バブル景気と被るんですよ。
…当時の撮り鉄のメインは、やはりジョイフルトレインでしょう。
余り気味の12系や14系が主体であり、JRの各支社で個性豊かな
車両が多くありました。しかし私はあまりソレには興味が無かった
と言うか…数が多すぎて追い切れなくなったように思います。
また当時は今のようなインターネットやSNSが無かったからあまり
知られてナイだけですが、その頃から撮り鉄のマナーと言うのは
あまり良いものでは無く、駅などでの罵声や他人を押し退けて場所
を確保するような行儀の悪い輩が存在しました。
…そう言う所に辟易としたと言うか、私は鉄道を撮るにしても、駅の
風景や乗務員さんを絡めて「人が写ってる構図」の方向に行きます。
で高校から大学と写真部に在籍し、色々と撮ったワケですが…
高校は設備もソレほど充実しておらず、技術的な事も全体的に拙い
物だったと思われますが、大学で一気にクオリティーが上がったと
言うか、高度な事を求められて戸惑いました。
…まぁ何事も上を目指すのはイイ事なんですが、先輩と言うかOBの
口出しが厄介で困ったんですよ。
部の行事として年に何度か写真展をやるワケですが、OBが顔を
出すのはイイとして、矢鱈と酷評されるのが嫌でしたね。
…それも撮り方や焼き方の技術面の話ではなく「こんな作風は若者
らしくない」みたいな単なるそいつの主観だったり、私のように駅の
風景ばかり撮ってると「内容が片寄りすぎてる」とか。
人によって好きな被写体や、撮りたいジャンルは自ずと固定化され
て行くと思うし、「こいつは鉄道が好きなんだな」で済ませればイイ
と思うんですけどね。
今でも旅先などでは主に記録として撮る事は多いです。しかし肖像
権とか個人情報にウルサい時代になったので、無許可でその辺の
乗客を勝手に撮るとか出来ない状況になってしまいました。
…でココまでデジタル写真が普及すると、昔みたいな暗室作業
などもナシで済む時代になりました。
何れも卒業以来殆ど関わってませんが、どうなったんでしょうね?
完全な偏見ですが何となく、当時のOB(現在の歳で60前後)がまだ
口出ししてそうなイメージがあるわ。
② 車(Y31系セドリック)
この話は初めてだと思います。今まで何台か乗り換えた自家用車
のうち最も愛着があり、今年で車齢17年になっても伊藤かずえさん
のシーマなみのレストアを自費で行って乗り続けてるワケですが。
変わった車だと言う自覚はあるから、やはり当時は「同じ車種の
他のユーザーはどの程度居て、日々のメンテナンスとかどぅしてる
んだろう?」とか気になるもんです。
…当時(2006年)だとインターネットはあれどTwitterはまだ普及
しておらず(奇しくも同年からサービスが始まってる)、今より若干
の不自由がありました。
またブログと言う物も黎明期だった筈であり、「○○さんの部屋」
みたいな個人サイトの方が主流だったように覚えています。
だから「Y31」系とかで個別に探して、ソコに付属している掲示板に
書き込むのが一般的な連絡の取り方でしょう。
そんな事で関西でも何人かのユーザーが居る事を知り、掲示板
を通じての遣り取りを始めたんですよ。その人たちは当然に、時々
実際に集まって車を並べて語り合うオフ会もやってたようです。
…話は脱線しますが、名古屋にあるオートバックスのある店舗で、
車関係のオフ会に協力的な所があり、予約すれば駐車場の一角
をソレ用に占有させてくれる所があったりしたようです。
しかしその手のオフ会と言うのは、当然に土日祝で開催される事
が多い(と言うか全部)。観光地の飲食店に勤務してた私にすると
滅多に参加出来ず、後の報告を羨ましく見るだけになってました。
一度だけ無理矢理に、夜になってから途中参加で行った事があり
ました。基本的には新参者の私にも親切に対応して貰え、その日
は楽しく過ごす事が出来たんですが…
その後メンバーの人たちは「みんな個々に連絡を取り合える状況
にあるから」と言う理由でホームページを閉じてしまい、新入りの
私は置き去りを食らってしまうんですよ。
…意図的に私が除け者にされたワケではなく、実際にソノ理由で
私は単に忘れられてただけだと思いますが、何か寂しい話です。
Y31系には以後もずっと乗ってますが、車の趣味に関して誰かと
繋がる事は無くなってしまいました。話し掛けられるのは駐車場
のオッサンの「懐かしいねー」みたいな世間話だけです。
…時代は流れてますから、今はY31系の絶対数も減ってるでしょう。
今なら日程的な自由も利きそうだから、集まりがあれば参加出来る
とは思うんですが、自分から発信するのはガラじゃありません。
なかなか難しいものがありますね。
そんな感じで次回以降も、年代を追って他の趣味に関しても色々と
思い出してみる事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1631 ○○について考える