新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 ㊺

2023/09/16(Sat)

今週も土曜日になりましたので「クラ駅長50年史」の報告です。
…段々と惰性でやってるのが自分でも分かるんですが、今回も取り
敢えず既定の字数(2000文字)を目指して頑張って書いてみましょう。


今回は2017年平成29年ですね。段々と「現代」ですので、記憶に
新しい事も多いですが、例によってWikipediaから見てみましょう。

まず同年の世相として「忖度」「インスタ映え」流行語だと書いて
あります。…6年前の出来事なので、恐らく今でも通じる物ばかり
ですが、Instagramは私も手を出さないまま現在に至ります。

Twitter(今はと言うのか?)があれば充分だし、見た感じどうも
日常の些細な事と言うより、文字通り「映え」を重視したアホみたい
な内容のが多いような気がして。

後にネットスラングとして「インスタ蝿」と言うのが出てきましたが、
コレはホントによく出来た言葉だと思います。…で更にアホみたい
物の最上級として、TikTokが登場するワケですが。

そして同年の出来事として覚えてるのが、東京の明治神宮などで
と思われる謎の液体が撒かれる事件?が起こった事でしょうか。

…実はコレの模倣犯だと思われる事件が奈良でも発生しており、
東大寺の大仏殿液体が掛けられたんですよ。

調べると成分はコーヒー牛乳だと分かったそうですが、全く意味が
分かりませんね。犯人は捕まったんでしょうか?


同年の鉄道関係の出来事としては、大きな話題としてJR西日本
「瑞風」同東日本「四季島」がデビューした事が挙げられる
でしょうか?。…双方とも現在でも人気の豪華列車ですが、価格が
高い事より切符の取り難さ躊躇してしまう物件です。

また同年の3月長野県上田市内北陸新幹線で、線路内に入った
男性が列車に撥ねられて死亡する事故が起こっています。

…コレも当時の報道を覚えてますが、コイツは確か撮り鉄でしょ。
好きな列車に撥ねられて死んだら本望じゃナイのかな(ブラック)。


さては先述の通り前年から、木村鉄道の活動を縮小しつつあった
ワケですが、その少し前から色々あって全てのイベントには参加
せず「実物の鉄道が絡む物」限定してあったんですよ。

…要するに社員旅行や貸切列車には行くけど、ショッピングモール
内みたいな所のステージイベント不可。みたいな感じです。

なので頻度一気に減って、最終的には年2回の社員旅行秋の
貸切列車
などの近ツー物だけになってました。

この頃から社員旅行2泊3日が常態化しつつあったと思うんです
が、2月の九州人吉機関区「ブルートレインたらぎ」には行かず
熊本電鉄のみとか、6月の東北地方秋田内陸線弘南鉄道には
行かず由利高原鉄道だけとか…間引きが多くなります。

社長との関係上手く行ってなかったけど、仲のいい社員さんたち
会えるのは楽しみなんですよ。なのでコノ辺は社長の写真殆ど
撮ってませんが、この「横の繋がり」があったお蔭で、何とか楽しく
過ごす事が出来てました。

…尤も前年辺りから父親の体調悪くなり、万一の場合に備えて
遠方への旅行自粛する流れになってたんですが。


 その代わり凝りだしたのが、鉄道模型お絵描き教室でしょうか?

鉄道模型は同年の2月頃三岐鉄道丹生川駅近くにある「貨物
鉄道博物館」を訪れたのがキッカケです。…ココでチャリティー
して中古の鉄道模型が売られており、スタッフの方に勧められて
DD51型を1両買ったのが始まりです。

当時住んでたワンルームアパートでは限られた大きさの物になり
ますがソレなりに工夫してジオラマを作り、車両を増やして行く
になります。

…まぁ折角6両セットの編成を買っても4両に減車しないと使えない
物でしたが、何度か試行錯誤して現在実家で製作中大きな物を
作るための基礎知識を体得する事が出来ました。


そしてお絵描き教室ですね。

乗り潰しの時に訪れたで、駅ノート丸々1ページを使って
目立つイラストを描く「駅ノート絵師」なる人たちの存在を知り、
その中の1人の方が北条鉄道ボランティア駅長をすると言うので、
時々参加するようになります。

木村鉄道ヒマになったので時間も取りやすく、丁度いい転属先
のような感じでした。尤も最初の頃は、自分で駅ノートに絵を描いて
回る事までは考えてませんでしたが。


そして同年の年末父親が亡くなりました昭和8年(1933年)
生まれだから享年84歳ですね。…「誤嚥性肺炎」と言う、喉に物を
詰まらせた事が死因とされていますが、実質的に老衰でしょう。

現役時代教師で、定年後も嘱託で近所の児童館の館長さん
みたいな仕事をしてたんですが、とにかく仕事以外に趣味のナイ
だったから、ソレも終わってしまうと自室でテレビを観てるだけ
の生活になり、一気に老け込んでしまったように思います。

足腰が弱って認知症も進むと、同じ歳の母親では介護ツラく
なり、何年か前から施設に入ってました

84年間の人生で「建物の1階でしか暮らした事がナイ」と「デニム
着用した事がナイ」と言う、謎の記録を持つ人でした。

酒飲みだったけど自動車の運転免許無かったので「何とか死な
なかった」部類の人だと思われます。最後まで煙草ヤメられず
に幾つものコゲを作ってました。…リフォーム苦労したわ。

亡くなる少し前から遺産(銀行預金など)の整理をやってたし、
亡くなったら葬式の仕切りもせにゃなりません(私が喪主)。

…その後も母親の年金の切り替えなどの手続きをする事になり
ますが、母親の脳みそもソロソロ衰えが見え始めており、殆ど
私が代行したんですよ。

年末年始を挟むので、実際に動くのは年が明けてからと言う事に
なりましたが、が生まれた戦前明日香村戸籍と言うのは、
筆書きの書類スキャンして保存してあったらしく、発行手数料
600円もしましたな(通常は300円程度)。


昨今は「終活」と言う言葉が盛んに使われており、私も詳しくは知ら
ないものの、遺品や遺産アタマがしっかりしてるうちに出来るだけ
シンプルにしておく方がイイのでしょう。

そんな発想ない時代の人たちなので苦労させられましたが、
自分はソレを反面教師にする積もりです。…てか私は死ぬ前日まで
でも、アタマはハッキリしてる自信はあるんですけどね。

→次回に続く



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