中舞鶴線の跡地を探る ④
2019/11/20(Wed)
さて中舞鶴線の跡地ですが、東舞鶴駅から約3km、現在は海上自衛隊
のグラウンドになっている中舞鶴駅跡までやってきましたクラ駅長です。
記念碑として、少し高台から写した駅の全景の写真が載った案内標が
建てられています。…廃止が昭和47年で、この案内標が出来たのが
昭和63年だと言う事ですが「元在籍職員有志一同」か。
廃止時に定年退職になった人でも何とか存命だった感じかな?そして
静態保存の蒸気機関車が1両、コレも記念碑の代わりに置かれてます。
中型の万能機として客貨両用に重宝されたC58型ですね。
実際に宮津線や舞鶴線など、この近辺で走ってた個体のようです。
…雪深い日本海側の路線らしく、スノープラウが装備されています。
デフを支える支柱は人が通れる高さに曲げてありました。
私にとってはコレも模型で是非とも欲しい機種なんですが、Wikipediaに
よると中舞鶴線は短距離の支線なので、C12型辺りのタンク機関車で
事足りてたようです。…上の配線図を見ても転車台は見当たりませんし。
番号プレートの類は盗難に遭った
のか、簡素な模造品になってます。
今現在、蒸気機関車のプレートを
グッズ業者のサイトで見ると高い物
で数十万円の値段が付いています。
…防犯カメラもなく、ネットオークション
も未発達な時代だと、盗まれても表に
出てこなかったのが現状でしょうね。
てか大井川鉄道の機関車は何年か毎にプレートを取り換えて、外した
やつを「本物」だとしてオークションに出し、毎度高値で落札されてます。
…アレにはどの程度のありがたみがあるんでしょう?
階段が取り付けられていて、キャブに入れるようになっていました。
折角ですから登ってみましょうか。
…ドノ程度の使われ方をしてたのか謎ですが、テンダ部分に取り付け
られた看板によると、小中学校の教材用?という事で、ボイラーの横
にも人が通れる通路が取り付けられています。
デフを固定する支柱が曲げてあるのもソレに起因する物でしょう。
運転席部分の各部品はカナリ荒れておりました。…屋根があるとは
言っても屋外では仕方ナイでしょう。
そして罐の焚口が開いており、中には石炭の代わりに黒く塗った
バラストが入ってます。…このパータンは初めて見たかも知れません。
幼児なら通り抜けれる直径なので、開けておくと危険なんですがね。
駅跡とは言っても見れる物はコレだけなので、雨が降らないうちに
東舞鶴駅まで戻ってしまい、中舞鶴線跡地の探索はココまでです。
関西の廃線跡も、自分が何となく知ってる範囲の物はそろそろ頭打ち
になってきましたが、手軽にページ数が稼げるネタでもあるので、今後
も探しつつ続けます。
ではココで先日の木村鉄道の貸切列車の報告へと移ります。
…最初の頃に比べたら、カナリ短かくなってしまった印象ですけどね。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
のグラウンドになっている中舞鶴駅跡までやってきましたクラ駅長です。
記念碑として、少し高台から写した駅の全景の写真が載った案内標が
建てられています。…廃止が昭和47年で、この案内標が出来たのが
昭和63年だと言う事ですが「元在籍職員有志一同」か。
廃止時に定年退職になった人でも何とか存命だった感じかな?そして
静態保存の蒸気機関車が1両、コレも記念碑の代わりに置かれてます。
中型の万能機として客貨両用に重宝されたC58型ですね。
実際に宮津線や舞鶴線など、この近辺で走ってた個体のようです。
…雪深い日本海側の路線らしく、スノープラウが装備されています。
デフを支える支柱は人が通れる高さに曲げてありました。
私にとってはコレも模型で是非とも欲しい機種なんですが、Wikipediaに
よると中舞鶴線は短距離の支線なので、C12型辺りのタンク機関車で
事足りてたようです。…上の配線図を見ても転車台は見当たりませんし。
番号プレートの類は盗難に遭った
のか、簡素な模造品になってます。
今現在、蒸気機関車のプレートを
グッズ業者のサイトで見ると高い物
で数十万円の値段が付いています。
…防犯カメラもなく、ネットオークション
も未発達な時代だと、盗まれても表に
出てこなかったのが現状でしょうね。
てか大井川鉄道の機関車は何年か毎にプレートを取り換えて、外した
やつを「本物」だとしてオークションに出し、毎度高値で落札されてます。
…アレにはどの程度のありがたみがあるんでしょう?
階段が取り付けられていて、キャブに入れるようになっていました。
折角ですから登ってみましょうか。
…ドノ程度の使われ方をしてたのか謎ですが、テンダ部分に取り付け
られた看板によると、小中学校の教材用?という事で、ボイラーの横
にも人が通れる通路が取り付けられています。
デフを固定する支柱が曲げてあるのもソレに起因する物でしょう。
運転席部分の各部品はカナリ荒れておりました。…屋根があるとは
言っても屋外では仕方ナイでしょう。
そして罐の焚口が開いており、中には石炭の代わりに黒く塗った
バラストが入ってます。…このパータンは初めて見たかも知れません。
幼児なら通り抜けれる直径なので、開けておくと危険なんですがね。
駅跡とは言っても見れる物はコレだけなので、雨が降らないうちに
東舞鶴駅まで戻ってしまい、中舞鶴線跡地の探索はココまでです。
関西の廃線跡も、自分が何となく知ってる範囲の物はそろそろ頭打ち
になってきましたが、手軽にページ数が稼げるネタでもあるので、今後
も探しつつ続けます。
ではココで先日の木村鉄道の貸切列車の報告へと移ります。
…最初の頃に比べたら、カナリ短かくなってしまった印象ですけどね。
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No.234 鉄道廃線跡を探る