南満州鉄道爆破事件? ②
2021/09/19(Sun)
そんな感じで前回に引き続いて南満州鉄道爆破事件に関するネタを
やりたいと思いますクラ駅長です。
ともあれ張作霖は国民政府との戦いに敗れ、北京から奉天へ列車で
逃げ帰ってきました。…負け戦の割には何故か豪華な特別列車で、
一説には20両編成だったとも言われています。
午前4時頃、奉天駅に着く直前の立体交差の地点に差し掛かった時、
仕掛けられた爆弾が爆発して列車は炎上、張作霖と側近や警備兵
など18名が死亡しました。
当時の客車なら上級グレードの車両でも木造車が一般的でしょう。
火災は免れたとしても衝撃で大破する事は必至ですね。
…子供の頃に読んだ歴史漫画では、登場人物が車内で卓を囲んで
麻雀に興じてる絵が描かれてましたが、到着直前にしては不自然?
現実には下車準備でもしてた所だと思われます。
張作霖が乗る車両(真ん中付近)を正確に狙った犯行であり、首謀者
は日本の関東軍のある将校だと判明しています。明らかな爆弾テロ
事件ですが軽い処罰で済み、むしろ後に軍部内で出世したそうな。
張作霖の死は暫くの間公表されず、事件そのものも日本では詳しく
報道されなかったと言う事で、「満州某重大事件」と言う歴史用語を
覚えてる人もあるかと思います。
…と事件の経緯で長らく引っ張りましたが、ココからが本題です。
ウチにあった写真乾板はこの事件に関する物で間違いナイんですが、
何でこんな物がウチにあるの?かが謎なのです。
事件後の現場を撮った物として、前回の「№3」と角度を変えた構図
で「№4」と「№5」が存在します。何れにも№3と同じキャプションが
付いてます。
このうち「№4」は全く同じ写真がWikipediaにも載ってました。
また活字が入ってたり画面の右側の黒い端っこが共通してるので
雑誌か何かを複写した物であろう事は何となく想像出来るんですよ。
フィルムではなく写真乾板である点からして、事件の時代と一致する
から直後に撮られた物である事も想像出来ます。…しかし何で?
そして問題は残りの2枚なんですが…
まず左ですが見事に客車が炎上してますな。左端にあるレンガ積み
の橋台からして同一の現場なんでしょうが、コレは予め現場に待機
してないと撮れない物でしょうな。
木造客車だから火の回りも早そうです。しかし台車が3軸ボギーな
所から一等車である事が分かります。…鉄ヲタ知識って便利だな。
…まぁテロとは言っても当時の日本軍はコレが「正義」なワケだから
記録担当のカメラマンぐらいは連れてたかも知れませんが、簡単に
流出する物だとも思えないんですけどね。
色々と調べてみたら当時の絵ハガキだとされる物に同じ写真が出て
きました。…てか爆弾テロを絵ハガキのネタにするってどんな神経?
コレも「戦意高揚」みたいな使われ方だったのかしら。
そして最後、右の中国服の男性は各種資料で見る張作霖にソックリ
なので、そのまま本人だと思われます。
…しかしコレにも現場写真のようなキャプションが存在しないのと、
検索で出て来るのは軍服を着た写真ばかりで同じ物は見当たらない。
つまりはナマ写真?
ちなみに我が家の先祖で軍隊経験者と言えば、日露戦争の頃に1人
居たぐらいの感じで時期が合いません。てか当時は太平洋戦争末期
のように誰彼ナシに徴兵される時代じゃなかった筈ですから。
…所で高校生の時にコレを発見&現像した私はどぅしたんだか?
例えば日本史担当の先生に見せるとか…残念ながらコレが記憶に
ナイんです。
なので今回、再発見としてこの場で広く発信する事にしました。
殊に張作霖の肖像写真に関して「ココに載ってるぞ」と言う情報を
御存知の方があれば教えて下さい。
…変な物が大量に出て来る家で困りますね。
こんな物より自分が高校生ぐらいの頃のネガフィルムを見付けないと
本来の「乗り鉄タイムトラベル」が立ち行かないのですが。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
やりたいと思いますクラ駅長です。
ともあれ張作霖は国民政府との戦いに敗れ、北京から奉天へ列車で
逃げ帰ってきました。…負け戦の割には何故か豪華な特別列車で、
一説には20両編成だったとも言われています。
午前4時頃、奉天駅に着く直前の立体交差の地点に差し掛かった時、
仕掛けられた爆弾が爆発して列車は炎上、張作霖と側近や警備兵
など18名が死亡しました。
当時の客車なら上級グレードの車両でも木造車が一般的でしょう。
火災は免れたとしても衝撃で大破する事は必至ですね。
…子供の頃に読んだ歴史漫画では、登場人物が車内で卓を囲んで
麻雀に興じてる絵が描かれてましたが、到着直前にしては不自然?
現実には下車準備でもしてた所だと思われます。
張作霖が乗る車両(真ん中付近)を正確に狙った犯行であり、首謀者
は日本の関東軍のある将校だと判明しています。明らかな爆弾テロ
事件ですが軽い処罰で済み、むしろ後に軍部内で出世したそうな。
張作霖の死は暫くの間公表されず、事件そのものも日本では詳しく
報道されなかったと言う事で、「満州某重大事件」と言う歴史用語を
覚えてる人もあるかと思います。
…と事件の経緯で長らく引っ張りましたが、ココからが本題です。
ウチにあった写真乾板はこの事件に関する物で間違いナイんですが、
何でこんな物がウチにあるの?かが謎なのです。
事件後の現場を撮った物として、前回の「№3」と角度を変えた構図
で「№4」と「№5」が存在します。何れにも№3と同じキャプションが
付いてます。
このうち「№4」は全く同じ写真がWikipediaにも載ってました。
また活字が入ってたり画面の右側の黒い端っこが共通してるので
雑誌か何かを複写した物であろう事は何となく想像出来るんですよ。
フィルムではなく写真乾板である点からして、事件の時代と一致する
から直後に撮られた物である事も想像出来ます。…しかし何で?
そして問題は残りの2枚なんですが…
まず左ですが見事に客車が炎上してますな。左端にあるレンガ積み
の橋台からして同一の現場なんでしょうが、コレは予め現場に待機
してないと撮れない物でしょうな。
木造客車だから火の回りも早そうです。しかし台車が3軸ボギーな
所から一等車である事が分かります。…鉄ヲタ知識って便利だな。
…まぁテロとは言っても当時の日本軍はコレが「正義」なワケだから
記録担当のカメラマンぐらいは連れてたかも知れませんが、簡単に
流出する物だとも思えないんですけどね。
色々と調べてみたら当時の絵ハガキだとされる物に同じ写真が出て
きました。…てか爆弾テロを絵ハガキのネタにするってどんな神経?
コレも「戦意高揚」みたいな使われ方だったのかしら。
そして最後、右の中国服の男性は各種資料で見る張作霖にソックリ
なので、そのまま本人だと思われます。
…しかしコレにも現場写真のようなキャプションが存在しないのと、
検索で出て来るのは軍服を着た写真ばかりで同じ物は見当たらない。
つまりはナマ写真?
ちなみに我が家の先祖で軍隊経験者と言えば、日露戦争の頃に1人
居たぐらいの感じで時期が合いません。てか当時は太平洋戦争末期
のように誰彼ナシに徴兵される時代じゃなかった筈ですから。
…所で高校生の時にコレを発見&現像した私はどぅしたんだか?
例えば日本史担当の先生に見せるとか…残念ながらコレが記憶に
ナイんです。
なので今回、再発見としてこの場で広く発信する事にしました。
殊に張作霖の肖像写真に関して「ココに載ってるぞ」と言う情報を
御存知の方があれば教えて下さい。
…変な物が大量に出て来る家で困りますね。
こんな物より自分が高校生ぐらいの頃のネガフィルムを見付けないと
本来の「乗り鉄タイムトラベル」が立ち行かないのですが。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.903 乗り鉄タイムトラベル