駅ノート 新疋田⑤
2023/05/15(Mon)
さて近場の駅ノートの5巡目ですが、当日の2駅目として北陸本線
の新疋田にやって来ましたクラ駅長です。
先述のように昭和32年、北陸本線の木ノ本~敦賀が線形改良の
ためルート変更になり、その途中駅として開業した駅です。
…ココから敦賀までの間は、上下線が大きく離れる区間や高低差を
稼ぐためのループ線などがあるため、昔から撮り鉄スポットとして
知られてる所ですね。
現在の駅舎は平成18年から使われており、ログハウス調の洒落た
デザインの建物になっています。そして以前に来た時には無かった
大きな看板が取り付けてありますね。
…「鉄道ギャラリー愛発」?
「愛発」と言うのはこの付近の地名であり「あらち」と読みます。
それに因んで以前から「愛の始発駅」みたいな観光PRが為されて
ましたが、鉄道ギャラリーとは何なんでしょう?
駅舎内には、以前から沢山の撮り鉄写真が飾られてたんですが、
恐らく何のルールもない状態で自然に増えて行ったのだと思われ、
コレをある時期に整理して、正式な展示スペースとして活用する
事になったようです。
室内にある看板は、何気に国鉄の特急型車両で見られた方向幕
をイメージしてあるようにも思えますので、ある程度の鉄道知識を
持った人がデザインしたのでしょう。
詳しくは後述しますが、管理は自治体(敦賀市)が行い、過去に
あった作品は一旦全て撤去して、近くの公民館に移されたそうな。
駅ノートはバックナンバーを含めて2冊ありました。同駅は撮り鉄
スポットに近いので訪問者も多いのか、進みは比較的早いようです。
未確認ですが古い駅ノートも自治体で管理されてるとすれば、上記
の過去写真と一緒に公民館で保管されてる可能性がありますね。
私は約1年半振りの訪問になりました。前回以降で確認出来た絵師
さんの作品は上記の6点です。…尤もノートが代替わりしてるなら、
他にも存在するのかも知れませんが。
訪問者が多い分、無秩序な落書きなども多いワケで、汚損が確認
される作品もあります。…何となくのイメージですが、萌え絵の方が
狙われやすいような気がしますよ。
さて今回は、先述のように旧柳ケ瀬線にあった疋田駅の跡地を
描く事にして、事前に見てきた風景をネタにしました。
…昭和32年~昭和39年の7年間はココを終点として、木ノ本から
来る支線の駅として残ってた事になりますが、やはり不採算路線
になったようで、以後は国鉄バスに転換されました(現在は地域
のコミュニティバスに路線が引き継がれています)。
しかしココは福井県なのに、柳ケ瀬線は敦賀ではなく木ノ本方向
(滋賀県)に繋がってたと言うのが些か不思議ですね。…山を挟む
から「文化的に滋賀県寄り」だったんでしょうか?
ともあれ今回も、同駅に関する「おまけネタ」に続ける事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
の新疋田にやって来ましたクラ駅長です。
先述のように昭和32年、北陸本線の木ノ本~敦賀が線形改良の
ためルート変更になり、その途中駅として開業した駅です。
…ココから敦賀までの間は、上下線が大きく離れる区間や高低差を
稼ぐためのループ線などがあるため、昔から撮り鉄スポットとして
知られてる所ですね。
現在の駅舎は平成18年から使われており、ログハウス調の洒落た
デザインの建物になっています。そして以前に来た時には無かった
大きな看板が取り付けてありますね。
…「鉄道ギャラリー愛発」?
「愛発」と言うのはこの付近の地名であり「あらち」と読みます。
それに因んで以前から「愛の始発駅」みたいな観光PRが為されて
ましたが、鉄道ギャラリーとは何なんでしょう?
駅舎内には、以前から沢山の撮り鉄写真が飾られてたんですが、
恐らく何のルールもない状態で自然に増えて行ったのだと思われ、
コレをある時期に整理して、正式な展示スペースとして活用する
事になったようです。
室内にある看板は、何気に国鉄の特急型車両で見られた方向幕
をイメージしてあるようにも思えますので、ある程度の鉄道知識を
持った人がデザインしたのでしょう。
詳しくは後述しますが、管理は自治体(敦賀市)が行い、過去に
あった作品は一旦全て撤去して、近くの公民館に移されたそうな。
駅ノートはバックナンバーを含めて2冊ありました。同駅は撮り鉄
スポットに近いので訪問者も多いのか、進みは比較的早いようです。
未確認ですが古い駅ノートも自治体で管理されてるとすれば、上記
の過去写真と一緒に公民館で保管されてる可能性がありますね。
私は約1年半振りの訪問になりました。前回以降で確認出来た絵師
さんの作品は上記の6点です。…尤もノートが代替わりしてるなら、
他にも存在するのかも知れませんが。
訪問者が多い分、無秩序な落書きなども多いワケで、汚損が確認
される作品もあります。…何となくのイメージですが、萌え絵の方が
狙われやすいような気がしますよ。
さて今回は、先述のように旧柳ケ瀬線にあった疋田駅の跡地を
描く事にして、事前に見てきた風景をネタにしました。
…昭和32年~昭和39年の7年間はココを終点として、木ノ本から
来る支線の駅として残ってた事になりますが、やはり不採算路線
になったようで、以後は国鉄バスに転換されました(現在は地域
のコミュニティバスに路線が引き継がれています)。
しかしココは福井県なのに、柳ケ瀬線は敦賀ではなく木ノ本方向
(滋賀県)に繋がってたと言うのが些か不思議ですね。…山を挟む
から「文化的に滋賀県寄り」だったんでしょうか?
ともあれ今回も、同駅に関する「おまけネタ」に続ける事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1506 駅ノートの記録