駅ノート 諸寄④
2023/08/03(Thu)
では山陰本線の駅ノートですが、続けて同じく新温泉町にある諸寄
にやって来ましたクラ駅長です。
…こちらは他の3駅より遅れて駅ノートの存在が確認されたんです
が、合間の訪問期間を詰めたので同じく4巡目として揃いました。
詳しくは後述しますが、開業当時から残ってると思われる木造駅舎
の駅で、元は有人駅だったようですが現在は無人化されています。
…入口には右書きの古めかしい駅名看板が掲げられてますが、
過去に来た時と違って文字の部分が塗り直されており、読みやすく
なってました。
こう言う物は「新しくするor古い物を残す」で意見が割れる事もある
と思われますが、折衷案として大掃除でもやったんですかね?
…私の実家と似たような状況なので、気持ちはよく分かります。
前回に無かった物として、地元の皆さんが整備してると思われる
花壇と、新設されたであろう「北前船の寄港地」をPRする幟旗が
ありました。
…日本海側で古くから港がある所なら、多少の差はあっても廻船
の運行には何らかの形で関わりがあるのでしょう。
そして駅舎内ですが、古い時代の同駅の写真が何点か展示されて
います。コレも前回には無かった物ですね(一部は駅ノートの表紙
の裏などに貼られてた)。
海岸・集落・線路と並んだ高台にある駅で、元は仮乗降場だった
物が駅に昇格したと言う経緯から、元から棒線構造のようです。
…この形状では、手荷物は扱えても貨物は大変でしょう。
通る車両は先程の居組と同じです。キハ40系も一時期、カラフル
な地域色が多く見られましたが、首都圏色が一番似合いますね。
…ギリギリで近畿圏内なので、広島支社で見られるクリアテール
ではなく、こちらもオリジナルの赤い物です。
駅ノートは新温泉町が設置した公式の物でしょう。バックナンバー
を含めて3冊ありますが、前回以降の絵師さんの作品、ゆっくまー
シール等は確認出来ませんでした。
その代わり目に付くのが、御当地(広く山陰地方)の郷土芸能で
ある麒麟獅子舞のステッカーです。…コレも絵のネタになるか
考えたんですが、被り物だから顔が出なくて無理があるような。
…と言う事で駅舎内にあった古い写真のうち、左の1枚をそのまま
模写してみます。被写体の3人がのろ一家で再現出来そうだった
のでコレにしました。
デジタル数字の日付が「83.4.3」とあるので1983年(昭和58年)か。
雰囲気的にモノクロにしてありますが、元はカラーかも知れません。
手前の2名は親子と言うより婆さんと孫に見えますが、子供は3歳
ぐらいだから現在は40代半ばでしょうか?…何を食ってんだ?
駅員さんが持ち込まれた手荷物を受け付けてるシーンだと思われ
ますが、資料によると昭和45年から「日中のみ駅員配置」となって
おり、その旨を示した看板がありますね。
…加えてコノ写真の翌日(昭和58年4月4日)から無人化されたと
ありますから、有人駅の最終日の記録として撮られた物でしょう。
てか自分が11歳の頃だと考えると、その時代にしては古めかしい
イメージなんですよ。もっと前じゃないの?
…まぁ子供で行動範囲が狭かったから知らなかっただけで、当時
なら荷物車を連結した長距離普通列車が走っており、山陰本線
には「門司~福知山」と言う、当時としても長い距離の客車列車が
存在しました。
ともあれ今回は1泊の旅なので「おまけネタ」を拾った後は宿泊地
の浜坂温泉へ向かう事になります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
にやって来ましたクラ駅長です。
…こちらは他の3駅より遅れて駅ノートの存在が確認されたんです
が、合間の訪問期間を詰めたので同じく4巡目として揃いました。
詳しくは後述しますが、開業当時から残ってると思われる木造駅舎
の駅で、元は有人駅だったようですが現在は無人化されています。
…入口には右書きの古めかしい駅名看板が掲げられてますが、
過去に来た時と違って文字の部分が塗り直されており、読みやすく
なってました。
こう言う物は「新しくするor古い物を残す」で意見が割れる事もある
と思われますが、折衷案として大掃除でもやったんですかね?
…私の実家と似たような状況なので、気持ちはよく分かります。
前回に無かった物として、地元の皆さんが整備してると思われる
花壇と、新設されたであろう「北前船の寄港地」をPRする幟旗が
ありました。
…日本海側で古くから港がある所なら、多少の差はあっても廻船
の運行には何らかの形で関わりがあるのでしょう。
そして駅舎内ですが、古い時代の同駅の写真が何点か展示されて
います。コレも前回には無かった物ですね(一部は駅ノートの表紙
の裏などに貼られてた)。
海岸・集落・線路と並んだ高台にある駅で、元は仮乗降場だった
物が駅に昇格したと言う経緯から、元から棒線構造のようです。
…この形状では、手荷物は扱えても貨物は大変でしょう。
通る車両は先程の居組と同じです。キハ40系も一時期、カラフル
な地域色が多く見られましたが、首都圏色が一番似合いますね。
…ギリギリで近畿圏内なので、広島支社で見られるクリアテール
ではなく、こちらもオリジナルの赤い物です。
駅ノートは新温泉町が設置した公式の物でしょう。バックナンバー
を含めて3冊ありますが、前回以降の絵師さんの作品、ゆっくまー
シール等は確認出来ませんでした。
その代わり目に付くのが、御当地(広く山陰地方)の郷土芸能で
ある麒麟獅子舞のステッカーです。…コレも絵のネタになるか
考えたんですが、被り物だから顔が出なくて無理があるような。
…と言う事で駅舎内にあった古い写真のうち、左の1枚をそのまま
模写してみます。被写体の3人がのろ一家で再現出来そうだった
のでコレにしました。
デジタル数字の日付が「83.4.3」とあるので1983年(昭和58年)か。
雰囲気的にモノクロにしてありますが、元はカラーかも知れません。
手前の2名は親子と言うより婆さんと孫に見えますが、子供は3歳
ぐらいだから現在は40代半ばでしょうか?…何を食ってんだ?
駅員さんが持ち込まれた手荷物を受け付けてるシーンだと思われ
ますが、資料によると昭和45年から「日中のみ駅員配置」となって
おり、その旨を示した看板がありますね。
…加えてコノ写真の翌日(昭和58年4月4日)から無人化されたと
ありますから、有人駅の最終日の記録として撮られた物でしょう。
てか自分が11歳の頃だと考えると、その時代にしては古めかしい
イメージなんですよ。もっと前じゃないの?
…まぁ子供で行動範囲が狭かったから知らなかっただけで、当時
なら荷物車を連結した長距離普通列車が走っており、山陰本線
には「門司~福知山」と言う、当時としても長い距離の客車列車が
存在しました。
ともあれ今回は1泊の旅なので「おまけネタ」を拾った後は宿泊地
の浜坂温泉へ向かう事になります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1586 駅ノートの記録