駅ノート 餘部④
2023/08/08(Tue)
…前日に山陰本線の鳥取県に近い居組と諸寄の駅ノートを描き、
浜坂温泉で1泊。2日目は朝から少し移動して、鉄橋で有名な餘部
にやって来ましたクラ駅長です。今回でココも4巡目になりますね。
2012年、現在のコンクリート製の橋梁に架け替えられたのと同時に
古い鉄橋の一部を利用した「空の駅」と言う展望台が出来ました。
その後2017年に「余部クリスタルタワー」なる専用のエレベーター
が完成し、駅や展望台まで楽に登れるようになってます。
豊岡方向に向かって左側に日本海が広がっており、眺めのイイ所
です。…オープンから5年間は、展望台へ行くにも昔のように山道を
登る必要があったワケで、確かに初めて来た時はそうでしたよ。
エレベーターを降りると右の方向…元の鉄橋跡に作られた通路を
歩いて駅に至ります。同駅の開業は比較的新しく昭和34年の事。
最初は山側(現在とは反対側)にホームがあったと言う事ですが、
橋梁の架け替えに伴って線路の位置が山側へズレたので、新橋梁
と同時に作られた新しいホームになりました。
同時に待合室とバリアフリー対応のトイレも新設され、駅ノートは
待合室内に置かれています。
空調設備は無く窓も小さいので、夏場はカナリ暑いです。理想的
には春か秋の過ごしやすい季節がベストでしょう(冬はまた寒い)。
…一応は観光地に分類されるのか、地元の利用者より観光客(車
での訪問も含む)の方が多いのでしょう。駅ノートもカナリ古い時代
の物から大量に置かれているようです。
設置者&管理者は不明であり、残りのページが少なくなったら
誰かが寄贈する感じで続いてるのでしょう。しかしソレが間に合わ
ないと、表紙や裏表紙の空白にまで書かれる羽目になるようです。
前回の訪問からカナリの日数(2年と10ヵ月)が経ってしまい、絵師
さんの作品やゆっくまーシールも多数増えてました。
しかしココもノートの扱いがカナリ雑であり、ページが破られてる
物もあるのでコレ以外にあった可能性もありますね。
さて今回は、橋梁の下にある事故の慰霊碑をネタに描いてみました。
鉄道関係に詳しい方には周知の事でしょうが、昭和63年の暮れ、
回送列車としてココを通りかかったお座敷列車「みやび」が突風
に煽られて6両編成の客車の全てが地上に転落。
下にあったカニの加工品を作る工場を直撃し、工場の従業員5名
と列車の車掌1名が死亡すると言う事故が起きたんですよ。
…事故の詳細はもぅ割愛しますが、事故後に列車を止めるべき風速
の基準が強化され、現場には観音像を付けた慰霊碑が建ちました。
てんは子猫なのでリアルタイムに知らないんですが、のろは中学生
の頃に報道で見聞きした世代の設定です。
鉄道趣味と言うのは色々なジャンルに細分化されてますが、カッコ
いい車両やキレイな景色、美味い駅弁を楽しむだけでなく、事故の
歴史と言うのも研究すると面白い(興味深い)ものなんですよ。
頭のいい子なので、本やネットを読み耽ってハマるかも知れません。
ともあれお昼過ぎまで掛かって描きました。下の「道の駅あまるべ」
で昼食にして、午後は更に東隣の鎧(よろい)へ移動します。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
浜坂温泉で1泊。2日目は朝から少し移動して、鉄橋で有名な餘部
にやって来ましたクラ駅長です。今回でココも4巡目になりますね。
2012年、現在のコンクリート製の橋梁に架け替えられたのと同時に
古い鉄橋の一部を利用した「空の駅」と言う展望台が出来ました。
その後2017年に「余部クリスタルタワー」なる専用のエレベーター
が完成し、駅や展望台まで楽に登れるようになってます。
豊岡方向に向かって左側に日本海が広がっており、眺めのイイ所
です。…オープンから5年間は、展望台へ行くにも昔のように山道を
登る必要があったワケで、確かに初めて来た時はそうでしたよ。
エレベーターを降りると右の方向…元の鉄橋跡に作られた通路を
歩いて駅に至ります。同駅の開業は比較的新しく昭和34年の事。
最初は山側(現在とは反対側)にホームがあったと言う事ですが、
橋梁の架け替えに伴って線路の位置が山側へズレたので、新橋梁
と同時に作られた新しいホームになりました。
同時に待合室とバリアフリー対応のトイレも新設され、駅ノートは
待合室内に置かれています。
空調設備は無く窓も小さいので、夏場はカナリ暑いです。理想的
には春か秋の過ごしやすい季節がベストでしょう(冬はまた寒い)。
…一応は観光地に分類されるのか、地元の利用者より観光客(車
での訪問も含む)の方が多いのでしょう。駅ノートもカナリ古い時代
の物から大量に置かれているようです。
設置者&管理者は不明であり、残りのページが少なくなったら
誰かが寄贈する感じで続いてるのでしょう。しかしソレが間に合わ
ないと、表紙や裏表紙の空白にまで書かれる羽目になるようです。
前回の訪問からカナリの日数(2年と10ヵ月)が経ってしまい、絵師
さんの作品やゆっくまーシールも多数増えてました。
しかしココもノートの扱いがカナリ雑であり、ページが破られてる
物もあるのでコレ以外にあった可能性もありますね。
さて今回は、橋梁の下にある事故の慰霊碑をネタに描いてみました。
鉄道関係に詳しい方には周知の事でしょうが、昭和63年の暮れ、
回送列車としてココを通りかかったお座敷列車「みやび」が突風
に煽られて6両編成の客車の全てが地上に転落。
下にあったカニの加工品を作る工場を直撃し、工場の従業員5名
と列車の車掌1名が死亡すると言う事故が起きたんですよ。
…事故の詳細はもぅ割愛しますが、事故後に列車を止めるべき風速
の基準が強化され、現場には観音像を付けた慰霊碑が建ちました。
てんは子猫なのでリアルタイムに知らないんですが、のろは中学生
の頃に報道で見聞きした世代の設定です。
鉄道趣味と言うのは色々なジャンルに細分化されてますが、カッコ
いい車両やキレイな景色、美味い駅弁を楽しむだけでなく、事故の
歴史と言うのも研究すると面白い(興味深い)ものなんですよ。
頭のいい子なので、本やネットを読み耽ってハマるかも知れません。
ともあれお昼過ぎまで掛かって描きました。下の「道の駅あまるべ」
で昼食にして、午後は更に東隣の鎧(よろい)へ移動します。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1591 駅ノートの記録