駅ノート 美作滝尾②
2020/09/22(Tue)
さて因美線の駅ノートですが、津山駅近くのα-1で2泊した3日目は、
最も帰りやすい(中国道のインターに近い)美作滝尾駅を残してあり
ましたので、ココを描いて帰る事になりますクラ駅長です。
…近隣の他のノート設置駅と同様、昭和初期から残るレトロな木造
駅舎の駅です。そして同駅に関しては映画のロケ…「男はつらいよ」
に登場した事が知られており、ソレを売り物にした駅でもあります。
「寅次郎紅の花」は、寅さんシリーズの48作目…実質的な最終作です。
駅舎内には撮影の様子を写したパネル写真が数多く飾られてますが
ソノ辺は前回に訪問した時に紹介しましたので割愛しておきましょう。
駅舎内は国鉄時代の雰囲気で溢れております。…何なら各地から
備品などを持ち寄ってわざと展示してあるぐらいの勢いですね。
…寅さんシリーズも始まった当初は昭和40年代前半であり、こんな
雰囲気の駅も各地に素で残ってたワケですが、最終作は平成なので
既にJRに移管しており、当時も貴重な存在だったかも知れません。
手荷物や貨物を扱ってた関係で、窓口やソレに関する案内がある
のは当然としても、ハカリやリヤカーまで残ってるんですね。
…コレが後々、今回のネタのヒントになりました。
前回も感心して見入ってしまった駅務室です。施錠されてますが窓越し
に見ると、現役当時の雰囲気のまま残してあるんですよ。少し埃っぽい
のを除けば、今にも誰かが駅の仕事を始めそうな感じです。
…壁には右のようなポスターがありました。国鉄時代の特急列車や
新幹線などの正面とヘッドマークなどを並べたやつ。確かにあったね。
交通博物館(当時)などに行くとお土産に売ってた記憶があります。
キハ82とかは同じ車両が並んでますが、ヘッドマークは全部違う筈。
でも当時の技術なら、ソコだけ抜いて合成するより実物を取り換えて
撮った方が手っ取り早かったかも知れませんな。
そんな駅舎は前回に描きましたので、今回は敷地の奥にある建物
をネタにしてみましょう。…構造からして貨物用のホームと倉庫だと
思われます。建物はそのまま自転車置き場に使われていました。
はい、やはりソレの上屋である事を示す札が付いてますが、当然に
線路は撤去されてて何故か栗の木が植えられています。
…昔は一般的な中間駅でも貨物の取り扱いが盛んに行われており、
この辺だと農作物を出荷するのに貨物列車が使われてたのでしょう。
行き止まりになった側線に貨車を入れておいて荷物を積み、通り
かかる貨物列車に連結して行く(又は切り離して側線に入れる)と言う
システムは分かるんですが、各駅で全部ソレをやってたら大変でしょ。
停車する→車掌車を外す→貨車を追加する→また車掌車を繋ぐ?
ホントにを一々そんな事をしてたのか?が信じられないのですが。
そして積む前の空の貨車はどのタイミングで用意するのか?
ソレを更に最寄りの貨物ヤードで行先別に仕分けして…と言う手間で
到着日時がハッキリしない事が嫌われ、衰退して行ったワケですから。
ドコを調べてもソノ辺の事が出てきませんので、ご存知の方があれば
また教えて下さい。
駅ノートはココでは最新刊しか公開されてませんので、常に1冊しか
ナイのですが、絵師さんの作品としては小さい物が3点。
…先程の知和駅と同じ日付なので、例の「絵師さん合宿」に大人数で
津山方面まで来て、グループを分けたのだと思われます。ふーん。
と言う事で、私はソノ貨物用ホームを描いてみました。
…農作物を出荷するにしても、恐らくは地域の農協などの仕切りで
もっと大量に積み込んだと思われますから、こんな個人レベルの量
ではナイかも知れませんが、雰囲気重視ですよ。
リヤカーはこんな感じでイイですか?小さい頃に住んでた実家にも
あったんですが、詳しい構造とかもぅ忘れたな。
と言う事で今回は元々の予定が因美線の4駅だった所を、智頭急行
の2駅も新規に描けて、短かいけど充実した旅でした。
…この調子で行くと今年は100枚を超えそうですね。まだまだ描くよ。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
最も帰りやすい(中国道のインターに近い)美作滝尾駅を残してあり
ましたので、ココを描いて帰る事になりますクラ駅長です。
…近隣の他のノート設置駅と同様、昭和初期から残るレトロな木造
駅舎の駅です。そして同駅に関しては映画のロケ…「男はつらいよ」
に登場した事が知られており、ソレを売り物にした駅でもあります。
「寅次郎紅の花」は、寅さんシリーズの48作目…実質的な最終作です。
駅舎内には撮影の様子を写したパネル写真が数多く飾られてますが
ソノ辺は前回に訪問した時に紹介しましたので割愛しておきましょう。
駅舎内は国鉄時代の雰囲気で溢れております。…何なら各地から
備品などを持ち寄ってわざと展示してあるぐらいの勢いですね。
…寅さんシリーズも始まった当初は昭和40年代前半であり、こんな
雰囲気の駅も各地に素で残ってたワケですが、最終作は平成なので
既にJRに移管しており、当時も貴重な存在だったかも知れません。
手荷物や貨物を扱ってた関係で、窓口やソレに関する案内がある
のは当然としても、ハカリやリヤカーまで残ってるんですね。
…コレが後々、今回のネタのヒントになりました。
前回も感心して見入ってしまった駅務室です。施錠されてますが窓越し
に見ると、現役当時の雰囲気のまま残してあるんですよ。少し埃っぽい
のを除けば、今にも誰かが駅の仕事を始めそうな感じです。
…壁には右のようなポスターがありました。国鉄時代の特急列車や
新幹線などの正面とヘッドマークなどを並べたやつ。確かにあったね。
交通博物館(当時)などに行くとお土産に売ってた記憶があります。
キハ82とかは同じ車両が並んでますが、ヘッドマークは全部違う筈。
でも当時の技術なら、ソコだけ抜いて合成するより実物を取り換えて
撮った方が手っ取り早かったかも知れませんな。
そんな駅舎は前回に描きましたので、今回は敷地の奥にある建物
をネタにしてみましょう。…構造からして貨物用のホームと倉庫だと
思われます。建物はそのまま自転車置き場に使われていました。
はい、やはりソレの上屋である事を示す札が付いてますが、当然に
線路は撤去されてて何故か栗の木が植えられています。
…昔は一般的な中間駅でも貨物の取り扱いが盛んに行われており、
この辺だと農作物を出荷するのに貨物列車が使われてたのでしょう。
行き止まりになった側線に貨車を入れておいて荷物を積み、通り
かかる貨物列車に連結して行く(又は切り離して側線に入れる)と言う
システムは分かるんですが、各駅で全部ソレをやってたら大変でしょ。
停車する→車掌車を外す→貨車を追加する→また車掌車を繋ぐ?
ホントにを一々そんな事をしてたのか?が信じられないのですが。
そして積む前の空の貨車はどのタイミングで用意するのか?
ソレを更に最寄りの貨物ヤードで行先別に仕分けして…と言う手間で
到着日時がハッキリしない事が嫌われ、衰退して行ったワケですから。
ドコを調べてもソノ辺の事が出てきませんので、ご存知の方があれば
また教えて下さい。
駅ノートはココでは最新刊しか公開されてませんので、常に1冊しか
ナイのですが、絵師さんの作品としては小さい物が3点。
…先程の知和駅と同じ日付なので、例の「絵師さん合宿」に大人数で
津山方面まで来て、グループを分けたのだと思われます。ふーん。
と言う事で、私はソノ貨物用ホームを描いてみました。
…農作物を出荷するにしても、恐らくは地域の農協などの仕切りで
もっと大量に積み込んだと思われますから、こんな個人レベルの量
ではナイかも知れませんが、雰囲気重視ですよ。
リヤカーはこんな感じでイイですか?小さい頃に住んでた実家にも
あったんですが、詳しい構造とかもぅ忘れたな。
と言う事で今回は元々の予定が因美線の4駅だった所を、智頭急行
の2駅も新規に描けて、短かいけど充実した旅でした。
…この調子で行くと今年は100枚を超えそうですね。まだまだ描くよ。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.541 駅ノートの記録