新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

スハネフ14-1 ①

2023/06/12(Mon)

さて和歌山ですが、南海加太線加太(かだ)駅ノート5巡目
を描き終え、今回の昼食場所へ移動してきましたクラ駅長です。

4月の半ばに和歌山市の漁総理大臣が襲撃されると言う
事件があったワケですが、私もソノ時に現場へ行かされる羽目に
なったんですよ。

現地で待ち時間が長いから、周辺の地図を見てヒマを潰してるうち、
近く鉄道コンセプトの飲食店があるのを発見たしんです。

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…その時点で加太船戸駅ノート予定を立ててたので、当日
の昼食に良かろうと予定に追加したと言う次第です。

現地の雑賀崎漁港すぐ背後切り立った山が迫ってる地形で、
で、目的地のお店はソノ高台にありました。

右がお店の前から見た風景なんですが、生憎と午後から雨の予報
が出ており、段々と雲が厚くなってきましたね。

晴天ならキレイな景色だと思われますが、やはり「ココが例の
現場か」と言う目線で見てしまう事になります。防波堤に囲まれた
真ん中の岸壁の、倉庫風な屋根が並んでる所がソレですよ。

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お店の名前が「スハネフ14-1」と言います。

ブルートレイン用の客車の形式番号の1つであり、鉄道知識
ある人ならすぐ分かるネーミングですね。現に私も文字列で見た
だけで「何だコレ?」と画面を押したワケですから。

営業正午から深夜と言う事で、喫茶店と言うより夜には酒類
楽しめる「カフェバー」と言う事になるのかも知れません。

Twitterのフォロワーさんの中に「行った事あるよ」と言う方が何人
かあったので、その筋では有名なお店だとも思われます。

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それほど広くない店内ですが、背後にリキュール類が並ぶ大きな
カウンター席があり、眺望が開けた側にも窓向きのカウンター席
作られています。

恐らくは御夫婦でやってる感じのお店だと思われ、開店時刻と同時
に入ったら、店内を回ってる鉄道模型掃除をされてました。
…コレに関しては後で詳しく紹介する事にしましょう。

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しかしまぁ、種々雑多鉄道グッズが色々と置かれてますね。

旧国鉄サボや、部品などは南海の物も交じってると思われます
が、圧力計タブレットキャリアが引っ掛けてあると言うセンス
どぅなのよ?

入ってすぐのボックス席には、ブルートレインなどで使われてた
照明や注意書きがあります。コレまた懐かしい物でした。

そして改めて入口付近を見ると、レトロな発車標が飾られてます。

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この手の「鉄道カフェ」は他にも
何店か行った事があるんですが、
やはり地域性が出るもんでして、
新宮難波王寺和歌山周辺
駅名の物が並んでいます。

この種の物は私もリアルタイム
には流石に見た事ありません
昭和40年代最後ぐらいか?

てか「2等で難波行き」って何なんでしょう?カナリ昔に南海から
の客車を紀勢本線に乗り入れさせ白浜方面まで走る運用があった
らしいので、ソレだとしたら相当古い物だと思われます。

また「和歌山新宮行きに連絡する王寺行き」と言うのも、比較的
近い所に住んでる私でもイマイチ想像出来なかったりします。

そして下段の本棚鉄道雑誌のバックナンバーで埋まってますね。
一朝一夕に集めた感じではなく、新刊発行時の物延々と溜めて
あると見ました。

…始まりから濃い内容圧倒されそうですが、お料理を注文して、
引き続き店内を見せて頂く事にしましょう。

→次回に続く



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No.1534 鉄道保存施設を探る

高山駅前の保存車を探る

2023/01/12(Thu)

そんな感じで高山本線上枝駅ノート描き終えたワケですが、
同じ場所に置かれていた蒸気機関車のオブジェが気になったので
少し調べてみる事にしましたクラ駅長です。

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Wikipediaによると「地元の小学生が作った模型」と書かれています。

模型と言うにはユルい作りであり、また作成時期がいつ頃の事
なのかは不明ですが、機関車には「19648」と言う矢鱈と具体的
ナンバーが付いています。

素直に考えれば9600型の147号機と言う事になりますか。

炭水車ナイけど車軸配置もソレと一致する1D型だし、蒸気ドーム
などの形状も概ね合ってる感じなので、コレは実物がドコかにある物
だろうと言う事で、Google「機関車 19648」を検索してみました。

その結果、高山駅に近い所の「昭和児童公園」と言うのが出ました。
ココに保存されてる機関車モデルにした物のようです。

まだ時間は早いし、少し遠回りになるけどこっち経由でも来たルート
へ抜けれるので、行ってみる事にしましょう。

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高山市の中心街に近い所で、高山駅の北側の一角にあります。
正式な名称より「ポッポ公園」と言う通称らしき物の方が目立つ
看板がありました。

余談ですが法務局自衛隊などが入った合同庁舎で、岐阜
地検高山支部もココにあります。…赤かぶ検事さんの職場ですな。

街中にある中規模程度の公園でしょう。園内の遊具蒸気機関車
をイメージした物で、こちらは「D-51」と言う至極適当なプレートが
付いています。

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件の19648号機関車は、屋根付きの展示スペースラッセル車
キ100型と並んで保存されていました。

資料によると高山本線開通昭和9年の事であり、その時に導入
された機関車が旅客用が8620型貨物用が9600型だったそうで、
同区間を最初に走った形式と言う事になるのでしょう。

昭和初期亜幹線なら妥当な組み合わせだと思われます。

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そして19648号大正6年製造ですが、高山機関区に配置され
てた時期が長くその縁ココに保存される事になったようです。

デフ板ない初期タイプの姿ですが、豪雪地帯に相応しくスノー
プラウが装備されてますね。

こちらも保存会が存在するようで、全体的に美しく保たれています。
奇しくも私が見に行った3日後に、高圧洗浄機などを使った清掃
作業が行われたと言う記事が見つかりました。

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そしてキ100型、これも蒸気機関車時代によく見られたラッセル車
ですね。動力はナイので「貨車」と言う分類です。

機関車から送られてくる圧縮空気車体の前と左右にある羽根
動かし、雪を搔き分けるんですよ。

このキ132号開通同年昭和9年から一貫して高山本線で使用
され、40年余り走行距離は72,000kmとあります。…意外と短かい
印象ですが、冬場除雪作業のみに使う物だとソノ程度なのか?

こちらもキレイに保存されています。形式番号などは最近になって
書き直された感じですが、名古屋「名」の独特な字体忠実に
再現されてるようでした。

思いがけず保存車両を見学する事が出来て、記事のネタ1回分
となりました。…冬の盆地夕暮れも早いので段々と暗くなって
きましたが、当日の宿泊地となる郡上八幡へ向かいます。

→次回に続く



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No.1383 鉄道保存施設を探る

下津井電鉄 児島駅を探る

2022/12/02(Fri)

そんな感じで到着した岡山県の児島ですが、当初は駅からバス
下津井へ向かおうと思ってた所へ、予定外のネタを1件思い付き
ましたので、先にソレを済ませる事にしましたクラ駅長です。

前回は下津井電鉄廃線跡(茶屋町~下津井)自転車で走った
ワケですが、最末期に始発駅だった児島駅跡の建物が工事中
中に入れなかったんですよ。

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…あれから半年以上経ったのでもう行けるだろうと思い、寄り道
する事にしました。JRの児島駅とは約800m離れてるので、絵の
道具を持って歩くのも面倒であり、タクシーで行きます。

運転手さんに話を振ると「最近通りましたよ」との事なので、やはり
大丈夫なようです。

写真を撮る間だけ待ってて貰って、そのまま下津井まで行けばイイ
でしょう。…やはり工事は完了しており、中に入る事が出来ました。

同社路線昭和47年に内陸部の茶屋町~児島廃止され、平成
元年全廃までココが仮の始発駅として使われていました。

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鉄道廃止後も暫くは同社の旅行センターなどとして使われていた
ものが、現在は廃線跡の土地とともに倉敷市に譲渡され「風の道」
と言う遊歩道の一部として機能しています。

…但し建物内通り抜ける事が出来るのは日中に限られるようで、
夜間閉鎖&周辺の道路を迂回する必要があるようです。

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そもそも児島駅の位置からして、上記区間廃止や町の区画整理
何度か変わっており、この場所に固定されたのが昭和61年
駅舎が完成したのが昭和63年の事なのだそうです。

零細軽便鉄道にしては現代的な建物だと思ったら、そう言う事か。
…しかし平成元年には廃止されてますから、勿体ない話です。

入ると左手に、ロフトみたいな中2階になった構造物がありました。
現役時代の事は知らないんですが、コレは当時からあった物
上に何かがあるワケでもなく反対側へ降りるだけの構造です。

その階段横に腕木信号機が保存されています。

昭和末期なら流石に自動閉塞システムぐらい入れてただろうし、
最終的には全線1閉塞だったからカナリ古い物でしょう。
「メリーベル号」などの看板もあるから廃止時オブジェだろうな。

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お約束タブレット閉塞機もありますね。用途や使い方を書いて
おかないと、若い世代には何の機械やら分からない物でしょう。
…てか私でも詳細な仕組みまでは正確に理解していません

1両か2両軽便鉄道が発着する駅としては無駄に奥行きが深い
ような気もするんですが、Wikipediaを見るとテナント店舗なども
入ってたらしく、手前部分殆どソレだったのかも知れません。

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更に進むとようやく乗り場の跡らしき物が出てきました。始発駅
よくある2面1線の構造で、乗車と降車分けてたと思われます。

駅名票当時の物かは不明ですが、次の駅備前赤崎なのは事実

そのまま向かって右側のホームから屋外へ出て、終端部スロープ
から地面へ降り、廃線跡遊歩道へ続く構造になっていました。
左手は下電バスの車庫になっています。

取り敢えず前回のリベンジも出来て、1回分の記事にもなりました。
そのままタクシー下津井方面へ向かい、こちらの駅跡も見学して
駅ノートを描く事にしましょう。

→次回に続く



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No.1342 鉄道保存施設を探る